多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

午前のおやつ、周作人

 南京の学校では、一つの授業が一時間で、午前は八時から十二時、午後は一時から四時までが授業だった。午前十時になると十分間の休憩があり、おやつを食べる時間であった。鐘を鳴らして知らせていた。これについては、汪仲賢さんが見事に書いている。

 「朝粥をニ碗

食べ、十時になって休む頃にはお腹が減ってグウグウいっていた。学校の入り口でコイン二枚で山東焼餅

を買い、コイン一枚でごま油の辛みそ


と酢を買う。餅を浸して食べると、辛くて酸っぱくて美味しい。山海の珍味より美味だ」

 一言補足すれば、その焼餅は当時いなか餅と呼ばれていた。山東の人に失礼な呼び名だったが、南京の人は冗談混じりにそう呼び、山東の友人も別に気にしていなかった。直径十センチくらいの餅を二枚重ね、真ん中に刻みを入れて、折り曲げていた。近年の南京の人はそれを知らないし、いなか餅という名称ももうない。が、ごま油の辛みそはまだある。その厚みのある味は北京で作ったものでは及ばず、私は今でも忘れられない。

 その十時のおやつには他にも何種類かあり、お金のある人は広東式のおやつ

を食べていた。一気に四個食べても、いなか餅一個にかなわず、取るに足りないものだと私は思っていた。大きな餅に油条を挟んだものの方が量があった。

 汪仲賢さんが書いていたのは1910年前後のことなので、そういう状況は清の末まで継続していたのだろう。一つの授業が一時間だというのもそれまで続いていたのだろう。(1951.10)

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