多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

酪、梁実秋

 酪とは凝結させた牛乳のことで、北平の有名な食品だ。他地方では見たことがない。夏の午後、商人が木の桶を二つ天秤棒でかついて売りにまわる。桶には青い布をかぶせ、大通りや路地裏を練り歩き、「イーヨ、酪だよ!」と叫ぶ。「イーヨ」がどういう意味かは知らない。お金持ちのお坊ちゃんたちはその商人を門のくぐりぬけの通路から呼び込み、ゆったりと長椅子に座り、慌てず騒がず酪を飲む。木の桶の真ん中に氷の塊を置き、その周りに碗に入った酪が並んでいる。それぞれの碗に木の板で蓋をし、数十の碗を積み重ねているのである。商人はブリキ製の小さなさじを酪と一緒に渡す。この薄くて小さいさじで食べるのだが、香りも良くて甘く、冷たいのでもう一碗注文する。商人は儲けのため、くじを入れた箱を持っている。金を払ってくじを引き、当たるとただで何碗か飲める。普通は商人が儲かるのだが、ある大邸宅のお坊ちゃんが運良く次々に当たり、その商人の酪を全て手に入れコックや車夫、召使にただの酪を飲ませていたのを見たことがある。商人は口を大きく開けて泣いていた。

 酪があれば、酪を売る店もある。私の家の近く、東四にも一軒ある。最も有名なのは前門の近くにある店だが、名は覚えていない。のれんをめくって入ると、中には何の設備もなく、壁際に幾つかの大きな木の桶と椅子が置いてあった。その店の酪は芳醇で新鮮な牛乳を使っていたので、味が他とは違っていた、碗に果物の切れ端を入れたものが、特によかった。酪の味と果物の味がマッチして特別な風味だった。芝居見物が終わったりして近くを通るたびに、必ず寄って二碗飲んだ。

 芝居を見ているときに、盆を持ってぎっしりの観衆の中を練り歩き、酪を売っている人もいた。「酪だよ!酪!」と叫んでいた。芝居に集中している時には不快だった。ある時道化役の李敬山がもう一人の道化役にこんな冗談を言った。「妻を寝取られた男が叫ぶのを聞いたことがあるかい?」「ない」「ほら、聞いてみろ」その時酪売りが舞台の前を通り過ぎ、「酪だよ!酪!」と叫んだ。観衆はどっと笑った。

 久しく北平を離れていると、北平の食べ物が恋しくなる。酪もその一つだ。斉如山さんがある日私を家に招いて、酪を飲ませてくれた。黄媛珊女史が作ってくれたもので、見た目も味もよかった。ただ、北平の酪が持つ酒の香りに似た芳しさが少し足りなかった。黄さんは大量に作り、私が飲んだその日に斉瑛さんがジープに大量の酪を積み、中華路のある店舗に売りにいった。その店舗の窓に「北平の酪」と書いた赤い紙が貼ってあったのを、その後見た。残念ながら、売れ行きは良くなかった。「肉とミルクで餓えと渇きを癒す」というのは結局は北方人の習慣だ。そして北方の牧畜業は発達していないので、酪を味わえたのは北平の街中の人だけだったのだ。斉さんの店はまもなくつぶれた。

 私たち中国人は、牛乳の消費量があまり多くない。私個人は牛乳が苦手だ。温めたものは生臭いし、冷やしたものを鼻をつまんで飲んでも胃がうまく消化してくれない。でも、酪は好きだ。数十年飲んできたが、どうやって作るかは知らない。黄さんの作ったものを飲みはしたが、製法は聞いていない。聞いたけど忘れてしまったのかもしれない。

 アメリカにしばらく滞在した時、娘の家で酪を飲んだ。外国流で、北平のものと比肩できるとは言わないが、心はなごんだ。その製法を以下に記す。

 一、新鮮な牛乳一リットルを用意する、六碗分になる、

二、牛乳に適量の砂糖と少量の香料を加える。バニラでもいい。私はラム酒で味をつけるのがいいと思う。

三、レンネット剤(凝固剤)を水に溶かす。一錠で二碗だ。レンネット剤は子牛の胃の膜から作ったもので、アメリカではスーパーで買える。

四、牛乳を四十五度くらいに温める。熱くしすぎてはならない。

五、レンネットを溶かした水を牛乳に入れてかき混ぜ、冷めたら冷蔵庫に入れる。冷えたら、すぐに食べられる。飲んだら北平を思い出し、「酪だよ!酪!」という叫び声が耳にこだました。

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