多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

粥について、梁実秋

 私は粥が好きではない、子供の頃、病気になるとすぐに粥を食べさせられたので、嫌な思い出がある。普段マントウや油条(小麦粉を練って油で揚げた食品)を食べていたので、粥はおいしく食べられなかった。

 もちろん例外はある。母が小さなやかんで煮てくれた粥はとても甘美だった。米をきれいに洗ってから煮込んだものだったが、途中で水を加えることもかき混ぜることもしない。こうして煮た粥は粘り気があったが米粒は形を保っており、とても美味しかった。タケノコの先や中華ハムをおかずにすると、味が一層引き立った。

 粥というと、昔の北方の「粥の作業場」が思い浮かぶ。慈善機関が施しをしていたのだが、冬になるたびにぼろぼろの服を着た人が並び、粥をもらっていた。粥を食べてもいっとき腹が膨れるだけで長くはもたないが、何も食べないよりはマシだったのだろう。

 が、美味しい粥もあることは認めなければならない。北方の人は白菜に塩とごま油を加えて粥を煮ることがあるが、格別の風味だ。「菜粥」と呼ばれる。粥が煮えた後、きれいに洗ったハスの葉をちぎってふりかけると、淡い緑色の粥ができる。ハスの葉の清らかな香りが粥にしみこむのだが、「ハスの葉粥」という。

 臘八粥は、粥の総合プログラムだ。かつて北平の雍和宮で、内務府が大金を使って臘八粥を煮ていた。最初に皇帝に献上し、次に大臣にふるまっていた。旧暦十二月八日(臘八)に粥を煮るという習慣は民間に深く浸透し、現在も続いている。私の家では臘八粥はとても重要なものだった。午前零時を過ぎると、大叔父が作業を開始すべく、直径三十センチ高さ三十センチの鍋を二つ取り出した。事前に水に浸しておいたアワ、アズキ、オニバス、ハトムギなどとギンナン、クリ、ナツメ、リュウガンなどを一緒に煮込み、しきりに長い柄のしゃもじでかき混ぜる。鍋底にこびりつかせないためだ。粥が煮えたら、杏仁、干しぶどう、松の実、果物の砂糖漬などを表面にふりかける。十二月八日の朝、各人が大きな碗で、赤砂糖を加えてから、息をふうふう吹きかけ、食べる。親戚や隣近所に配ったりもした。余った粥は素焼きの鉢に入れておくと、自然に凝固し、年末までもった。戦争が起きてからも、毎年十二月八日には粥を食べるのだが、材料がなかなか手に入らず、粗末なものしか作れない。

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