多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

紹興酒、周作人

 私は紹興の出身なので、紹興酒については玄人のふりをして話をしたい。が、そうは言っても限界がある。酒はあまり飲めず、自分で造ることもできないので、受け売りの話しかできないのだ。

 紹興酒を造る技術は、他の酒にも通じるだろう。酒に熱を加える頃合いが大切なのだ。それが早すぎると発酵が不十分となるし、遅すぎると酸味が強くなりすぎてしまう。そのカギは技術者が握っている。田舎ではこの技術者を「酒頭工」と呼び、酒を造ろうという人は
高い金を払って遠くから招き、酒に熱を加える頃合いを見計らってもらっていた。酒頭工にも優劣があったが、酒を飲まない人でないとだめだった。彼の酒代がもったいないというのではない。酔っぱらってしまうと聴覚が鈍り、タイミングを間違えてしまう。そうなっては一甕分の酒が無駄になってしまうのである。聞くところによると、酒頭工のワザはとても細かなもので、抜き足差し足で甕のまわりを歩きながらあぶくの音を聞くのだが、その際にある種の音が聞こえると酒が成熟したと判断し、熱を加えるという。彼の本領はまさにこの点にあり、それで給料をもらい、「技師」としての待遇を受けていた。これは科学が発達していなかった時代のことで、個人の経験に頼るしかなかったのだが、後になって科学的な方法が開発されるかもしれない。現在、公社合営制が採用され、「酒頭工」をめぐる状況はいくらか変化したが。、耳で成熟を知るというのは旧来通りで、科学的な機器ではまだ無理だ。
 

酒の味について、玄人のふりをして少し話したい。私は酒を味わいたい気持ちはあるのだが、あまり飲めない。それゆえ酒が飲める人の話に基づいて言うのだが、酒の味については「甘い」のが最も下で、「苦い」のがその次、「酸っぱい」のが一番いいそうだ。やや酸味のある酒がいい酒で、甘い酒は悪い酒だという。

 沈永和酒造場が1912年に「善醸酒」を開発した。

別の酒を原料にして造ったもので、とても有名だが、「甘い」のが欠点で、酒マニアの歓迎するところとはならなかった。最近新聞紙上で新しい品種が発表された。紹興酒を原料とした甘い酒のようだが、米を使った酒の正統ではなく、果実酒と言った方がいい。甘い酒の長所は口当たりがいいことだが、飲みすぎると悪酔いしてしまう。善醸酒はまさにそういう酒で、長所と短所が背中合わせになっている。本当の酒飲みとは言えない人が善醸酒を愛飲しているが、そのことは売り上げにあまり貢献していないようだ。私と同郷の人で、いつも五百グラムは酒を飲むという人がいる。善醸酒を飲んだ時に変な感じがしたので、「濾州大曲」

という白酒に切り替えたそうだ。紹興酒については、「いい酒が少ない。これから故郷の名誉を担うのは越劇という伝統芝居だろう」と言っていた。この言葉に私は同意する。<1957年7月>

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