多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

私は粥が好きだ、王蒙

 私の祖籍地である河北省南皮県では、河北の多くの地域と同様に、人々はほとんど食事のたびに粥を食べる。ご飯や炒め物の後でも、道理に従えばスープを飲むのだが、河北の人はいつも粥を食べる。

 故郷の人が一番よく食べるのが「黏粥」だ。トウモロコシの粉と粒をじっくり煮込んで作る。採れたてのトウモロコシに、時によってはサツマイモを混ぜ、食後にニ碗食べる。

第一におなかがいっぱいになるし、第二に必要な水分を補給できる。当時は、ビールやコーラ、ミネラルウォーターのようなものが食事時についていなかった。第三に果物やアイスクリームの代わりのデザートとなり、食事に終止符を打ち、口の中の塩辛さや油っこさを消し去ってくれる。粥を食べる時は普通たくあんの類の塩辛い漬物をつける。漬物と粥が互いに味を引き立て合うのは、言うまでもない。この組み合わせに慣れると、たとえもち米粥を食べても、

ツバメの巣の粥を食べても、

シーフードの粥を食べても、

たくあんや雲南のダイトウサイ、、四川のザーサイなどを忘れることはない。また、「天源醤園」、「六必居」、保定の「春不老」などの有名な醤菜もまた不断に粥の味わいを高めてくれるので

いくら食べても食べ飽きることがない。

 甘い粥もある。アズキ粥

八宝蓮子粥、

クリやアーモンド、ピーナッツを混ぜたものなどだ。これらを食べる時に塩辛い漬物をつけるかどうかは、決まりがない。

 粥を多く、久しく食べていると、当然愛着が湧く。粥は消化がよく、病気になると、すぐに粥、特にコメの粥を思い出す。新鮮なコメの香りが病気で弱った胃腸を癒やし、ゆったりと慰めてくれるようで、健康回復への期待も湧いてくる。ざっくり言えば、コメの粥自身がナイーブな温かさと子供時代の思い出を伝え、人類の弱さに対する理解と同情を表し、穏やかな雰囲気を醸し出す。コメの粥は薬の一種でもある。病毒を取り去って元気を補い、脾を養って心を落ち着け、ほてりを防いで気持ちを清めてくれる。魚や肉などを食べ過ぎて消化不良を起こしても、コメの粥なら食べられる。

 よく食べるもう一つの粥は「黏粥」だ。大きな碗を両手でささげ持ち、熱々のものをズルズルと腹に入れるのは、農夫とともに呼吸しているのと同じだ。トウモロコシを使ったこれらの粥を食べると、人は純朴になり、苦しさに耐える精神を身につける。トウモロコシの粥は貧窮を思い出させるというのは嘘ではない。三年の困難な時代、私は一日に二回粥を食べるだけだった。トウモロコシの粥だった。必死の思いで、腹に入れると目がすわった。であるからこそ、十一期三中全会以降の改革開放と経済繁栄、人民生活の目を見張るような向上を私は心から喜んでいる。……

 毎年旧暦十二月八日に北方の農村では「臘八粥」を作るが、これは粥の王様であり、粥の集大成でもある。

この日になると、それぞれの家で臘八粥を煮込む。臘八粥は「来るものは拒まず」で、コメやアワ、キビや黒コメ、オニバスの実やハトムギ、アズキやリョクトウ、ピーナッツやクルミなどさまざまなものを同じ鍋に入れて、じっくり煮込む。部屋中に香りが充満し、口に入れると天下の食べ物を味わっている気分になる。ゆったりとした気持ちになり、まさに農を愛する気持ちが養われる。我が国の十数億の人口のうち八億か九億は農村にいるのだから、この点を忘れてしまえば、「本」を失うことになる。

 広東や福建には高級な粥もある。肉やシーフード、フカヒレなどの食材を使い、いかにもレベルが高そうだ。が、私は親近感を感じない。田舎者だからだろう。

 当然、粥こそ至上と言っているわけではない。生活レベルの向上とともに視野も広がり、多くの栄養豊かなものが食卓に並ぶようになった。飲食において保守的なのはよくない。実際、食べ物については、私は各国の新しい食べ物の味を試してきた。日本の刺身やアメリカのローストビーフ、フランスのさまざまなチーズ、ロシアのキャビア、我が国白族の豚の生肝と豚の皮、ケイヒの味のアイスクリーム、色々な清涼飲料や酒類、コーヒーなどだ。この点については誇りに思っている。私の胃袋は開放的で度量が大きいのだろう。飲食を含め、新しいことを経験するのが好きだ。その方が生きていて楽しいし、健康にも有利だろう。

 が、粥と漬物には特別な愛着を持ち続けている。宴会が続いて胃腸が負担に耐えなくなった時、シーフードを食べ過ぎて北方人である私の口におできができ、体に蕁麻疹ができた時、特異な飲食に初めての時のような刺激と魅力を感じなくなった時、外国にいて胃腸の具合が悪くなった時、私は粥と漬物に向かう。ザーサイの千切りやセリホン、コールラビの漬物を見て、コメの粥の香りを嗅ぐと実に嬉しくなる。粥と漬物を食べると安らかな気持ちになれる。どんな山海の珍味や美酒美食をどんな場所で味わい、新しい経験を重ねて新しい栄養を補充しても、粥と漬物を忘れることはできない。先人や過去、生活方式を忘れることもできないし、私を育んでくれた山川と大地、純朴な人民を忘れることはできない。そうすれば食生活もより豊かで楽しいものになるだろう。

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