北京でよく飲まれるのは第一に「パイカル」(原語は「白干」)という焼酎だ。さまざまな階層の人に愛されている。「都一処」の「蒸酒」が一番で、「東西来順」と「両益軒」の「伏酒」がその次だ。北京でパイカルを産するところは四路に分かれる。南路の採育鎮と長辛店、北路の麗水橋、東路の西集と燕郊、西路の黒竜潭など... 続きをみる
2020年6月のブログ記事
-
-
レンギョにはハクレンとコクレンの二種類がある。頭部が最もおいしく、醤油煮込みなどがある。北方では大きなレンギョは少ないが、南方のレンギョは、二キロか三キロ、五キロくらいで、頭部だけで五キロを超えるものもある。 頭部の煮込み料理の作り方:頭部を二つに切り分け、油で煎る。油を切ってから、醤油と料理用... 続きをみる
-
ケツギョのことを、料理人と魚屋は「桂魚」と呼ぶ。四季いつでも食べられるが、三月が一番脂がのっている。張志和の詩句に「桃花流水鳜鱼(けつぎょ)肥ゆ亅というのがあるが、古今の文人に称賛されている。ケツギョの肉は細やかで、よけいな小骨がない。小骨がない魚の中では一番おいしい。醤油を加えずに蒸すのが一番い... 続きをみる
-
蒸羊肉に関しては、「都門紀略」に「蒸羊肉、徳勝門外馬店路の東にある」とだけ書いてある。まさにこの通りだが、あまり詳しくない。蒸羊肉を発明したのは、清時代の道光帝のときの薛三巴という人で、イスラム教徒だ。徳勝門外の馬店に住んでいた。現在も薛という姓の人が秘伝を受け継いで作っている。徳勝門関廂西に偽... 続きをみる
-
「燕園の老いゆく人々」というタイトルは、ずっと心の中にあった。当初は父と同世代の人々の老いを書こうと思っていた。まず行動が不便になり、その後車いすを使い、結局移動できなくなる。近年、燕南園では若い人がどんどん少なくなっている。隣近所でももともと元気に歩いていた人がきらきら光る歩行器を使うようになり... 続きをみる
-
長さは五歩、幅は三歩、この狭い部屋が病人の天地だ。広さは十分、もし死んだら箱が一つ要るだけだ。ここに入院しているが、まず第一に透熱療法。暗い部屋の中で、医師と技師が鉛の塊を配置し、放射線を通す。彼らが鉛の塊を上にしろとか下にしろとか言ってるのを聞くと、自分が人ではなく、物になったような気がする。... 続きをみる
-
-
酒は芸術だ。酒は人を陶然とさせ、飄然とさせ、意識を失わせて、まったく別の世界に導く。その世界では、人はこの世の束縛から離れ、自由自在だ。せわしさや煩いも忘れられる。それゆえ上手に酒を飲む者を酒仙と呼び、酒におぼれる者を酒鬼と呼ぶ。酒人、とは言わない。酒を飲めば仙や鬼の世界を行き来できるのだ。偉... 続きをみる
-
-
-
-
鶏肉のごま油かけ 夏の「鶏肉のごま油かけ」には他にないおいしさがある。 まず、若い鶏の肉をじっくり煮て方形に切り分ける。湯をくぐらせたナズナをその鶏肉にかけ、ごま油と醤油を混ぜたものをナズナにかける。さわやかな味で、油っこくない。レストランでは冷たい料理として出すこともあり、家庭でも簡単に作れ... 続きをみる
-
酸梅湯 夏の飲み物といえば、酸梅湯こそがさわやかだ。きちんとした水を使用して作れば、夏の衛生によく、益するところも多い。のどの渇きをいやすのと同時に、梅の成分が厥陰の経絡に入るので、暑気を取り除いて肝臓を丈夫にする。古人は酸梅湯を飲みながら食事をしていたが、深い意味があったのだ。のちの人が涼だけ... 続きをみる
-
北京っ子の夏の家庭料理は、すべて清涼の味わいだ。夏で一番意義深いのは「ハスの葉の粥」だ。ハスの葉の粥は、それぞれの「家庭の味」がある。一般の食堂のものは、ハスの葉にウコンを加えて煮た物に白米の粥を混ぜたもので、苦くて渋く、清らかな香りが全くない。米の粥を煮る。 家庭でハスの葉の粥を作る場合は、ま... 続きをみる
-
夏に酒を飲むのは趣豊かなことだ。紀元前三世紀か四世紀の中国人が、夏に氷で冷やした酒を飲んでいたかどうか、麦で造った酒(ビール)を飲んでいたかどうかはわからない。四十年前の北京っ子は、夏に黄酒館に行き、紹興黄酒を飲むのが好きだった。山東黄酒は商売をする人が飲み、山西黄酒は誰も飲まなかった。夏にパイカ... 続きをみる
-
-
中国の歴史は、十年に一回大パンデミックが、三年に一回小パンデミックが発生している。「周礼・天官」にあるように「疾医は万民の病気をみるが、しょっちゅう疫病が発生している」状況だった。 2002,3年のサーズから、2019,20年の新型コロナ肺炎まで十六、七年しか経っていないので、恐怖を感じる。 ... 続きをみる
-
諸葛孔明(181-234)は、三国時代の蜀の丞相で、徐州の出身、傑出した軍事家、政治家でもあった。「出師の表」を書き、木牛流馬、孔明灯などを発明した。一生心身を労して働き、死ぬまで力を尽くし、中国伝統文化における忠臣と知者の代表である。彼はどうして死んだのか? 諸葛孔明は五丈原で死んだことにな... 続きをみる
-
宋の紹聖元年(1094)、五十九歳の蘇軾は左遷されて南へ向かっていた。愛妾の王朝雲と幼子の蘇過をつれて恵州にたどり着いた。 恵州への旅に出る前、蘇軾は年若い王朝雲に江南にとどまるよう何度か言ったが、朝雲はきかず、ずっと蘇軾のそばに付き従い、うらぶれた時期の蘇軾の生命の支柱となった。 蘇軾一家... 続きをみる
-
唐の開元二年(714),三歳の杜甫は、洛陽建春門内の叔母に預けられていた。叔母は杜甫を我が子のように愛しんだ。叔母の息子は杜甫よりいくつか年上だったが、仲も良く、楽しく過ごした。しかし、良いことは長く続かず、洛陽に疫病のパンデミックが発生し、杜甫と叔母の息子が感染した。 叔母は色々薬を探し求め... 続きをみる
-
皆さんのブログを拝見していると、糖尿病の方もおられるようです。中国古代にも糖尿病の人はいました。 現代人と同様、古代の人も糖尿病で苦しんできた。古代の人々は糖尿病を消渇症と呼んだ。 「史記」に記載されている司馬相如は、史書に書かれた最初の糖尿病患者だ。彼の愛情物語についてはよく語られているが、... 続きをみる
-
-
孔子の養生法、guolujin2020-3-15 21:44:17
中国のネットに出ていました。 論語の中で、孔子は病気を重大なことと捉え、三つのことを心がけていた。一、飲食を慎むこと。二、徳行を修めること。三、天命を知ること。この三つが揃ってこそ、健康長寿が可能となる。 一、飲食を慎むこと 病は口から入る。飲食の不調は病の一大ファクターだ。孔子は「食は精なる... 続きをみる
-
中国のサイトにありました。 「李白一斗詩百篇、長安市上酒家に眠る。天子呼び来れど船に上がらず。自ら称す臣はこれ酒中の仙と」。杜甫のこの詩を細かく味読しても、李白の酒を飲んだ後の豪放さを賛美し、物に縛られない性格に感服しているのか、命の如く酒を愛した酔っぱらいとして描いているのか!はっきり言えない... 続きをみる
-
中国のサイトにありました。 「眼暗」という詩に白居易が書いている。「早年の勤倹書をみるに苦しみ、晩歳の悲傷涙を出すこと多し、眼の損ずるは知らず、すべて自ら取りしかと。病なりて方に悟るいかならんと欲するを」 唐の人々の詩作の中には眼科の疾病に関するものがよくみられるが、その中では「詩翁」白居易の... 続きをみる
-
中国のサイトに出ていました。 杜甫は唐代の著名な大詩人で、字は子美、詩の中では自らを「少陵野老」と称している。彼の数多くの優秀な詩は、つまびらかにわが国唐時代の社会生活を記録し、人民の病気と苦しみを反映しているので、「詩史」と称賛されている。沈鬱な風格を作り上げ、のちの人は彼を「詩... 続きをみる
-
杜甫が、病の自分を手厚くもてなしてくれた王という知人に感謝する詩を書いています。杜甫はマラリアで苦しんでいたようです。 病の私に手厚く…… とても高尚な気持ちを抱いておられる王さんのお宅にお邪魔し、昔からのお世話に感謝した 私が貧困に甘んじていることを王さんはわかってくださる 飢えと凍え... 続きをみる
-
-
-
-
宋時代(約九百年前)の女性詩人李清照の詩です。愛する人が遠くに行ってしまったことを嘆き悲しんでいます。 あの人を想い、やつれ…… 銅の炉の香りは冷え切り、赤い布団はベッドの上で波のように乱れ、朝何とか起きたものの、髪をすくのも物憂い。 鏡台には塵がうずたかく積もり、太陽の光だけがカーテンを... 続きをみる
-
宋時代(約九百年前)の女性詩人李清照が、年をとり、病で寝込んだときの詩です。 病気で髪の毛が…… 病気で少なくなった髪の毛が白くなり始めた ベッドに横たわり、カーテンに映る残月を見ている 煎じた漢方薬は飲むが、茶を飲む元気はない 枕に頭を乗せて本を読むと、ゆったりした気持ちになる 門... 続きをみる
-
-
老いを茶と絡めて、見事に描いた作品です。
-
口の中の盗賊退治とは、歯を全部抜くことだ。なぜそう言うのか?私の口の中に残った十七本の歯は役に立たないばかりか、常に災いと苦しみをもたらしている。いっそのこと全部抜いてしまえば、要所を占拠する盗賊を退治するのと同じで、天下太平となり、安心して暮らせる。この比喩はとても適切だと思う。 私の十七本... 続きをみる
-
魯迅(1881-1936)の死に際について、夫人の許広平が書いています。魯迅は五十代でなくなっていますが、最後まで頭ははっきりしており、トイレも自分で行っていました。 …十七日の午前、彼は「太炎さんで思い出した二、三の事」という文の中段を書き続けていた。(彼はそれが自分の最後の仕事になるとは思わな... 続きをみる
-
-
老舎が盲腸を切除したときのことを書いています。医者がなかなか盲腸を見つけられず、一時間以上探したそうです。
-
老舎(1899-1966)という作家が「小病」という文を書いています。ふだん「小病」(売薬で治る程度の病気)にかかっておくと、死に至るほどの大病にはならないという趣旨です。なかなか含蓄があります。
-
旧暦二千年、まさに龍の年。春節前、街は色鮮やかな飾りがあふれ、美しく印刷した年賀状や花籠は、実に輝かしかった。 私は龍の年生まれだが、まだ龍の年にならないうちに、赤いベルトを用意したらどうかと言われた。私は笑って、そういうものは信じないと言った。兎の年の大晦日、窓辺に立つと、突然目の前が暗くな... 続きをみる