多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

2022年1月のブログ記事

  • 酒、周作人

     兄魯迅はあまり飲まなかったが、数杯飲むのは好きだった。ことに友人と共に飲むのは好んだ。 たとえば田舎で学校をやっていた時、范愛農さんとよく飲んでいた。その後、北京のs会館にいた時、時々有名な広和居から,揚げ肉団子 や酸辣湯 を取り寄せ、五星ビールを一瓶開けて友と楽しく飲んでいた。 が、どういうわ... 続きをみる

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  • 酒楼、周作人

     兄魯迅の「酒楼にて」という小説は呂緯甫という人物を描いている。范愛農さんに少し性格が似ているが、実際はモデルはおらず、小説の中の呂緯甫に関する二つの事件は、詩と真実の違いはあるものの、著者魯迅自身の経験によるものだ。その酒楼の所在地は小説ではs市となっているが、紹興をウェード式のローマ字で書い... 続きをみる

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  • 旅中の食べ物、周作人

     かつては旅行に行く際は、道中の食べ物は自らが用意するのが当たり前だった。家族の誰かが旅に出るときは、数日前から「道中の食べ物」を用意したものだ。一番重要なのが「スープの調味料」で、干しエビ やシイタケ、干しタケノコなどを用意した。 それらを熱湯に入れて味を出すのである。他に火腿や家郷肉もあったが... 続きをみる

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  • 魚の燻製と干し豚肉、周作人

     魚の燻製と干し豚肉は故郷の田舎の名物だ。最も有名なのは当然火腿 と家郷肉 だが、やや贅沢で、欠点もある。干してはいるものの、長期間経つと、油分が抜けてしまい、全体の量が減ってしまうのだ。長期間経過しても悪くならないという点では、魚の干物 が一番だ。一メートルくらいのセイギョを塊に切り分けてじっく... 続きをみる

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  • 午前のおやつ、周作人

     南京の学校では、一つの授業が一時間で、午前は八時から十二時、午後は一時から四時までが授業だった。午前十時になると十分間の休憩があり、おやつを食べる時間であった。鐘を鳴らして知らせていた。これについては、汪仲賢さんが見事に書いている。  「朝粥をニ碗 食べ、十時になって休む頃にはお腹が減ってグウグ... 続きをみる

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  • 中国人、赤ちゃんを祝福

    中国の山東省の習慣しょうか。生まれて三ヶ月の赤ちゃんを、両親とその両親が祝福しています。 寶貝というのは赤ちゃんのことです。

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  • 「毛筆酥」中国美食イノベーション

    中国西安のコックさんが、中国の伝統を生かした「毛筆酥」という菓子を考案しました。 主原料は小麦粉です。 赤色はドラゴンフルーツ、黒色は黒ゴマ、黄色はカボチャ、緑色はホウレンソウと抹茶からとっています。 これは菓子です。本物の筆ではありません。

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  • 扯白糖

    中国紹興の飴菓子「扯白糖」です。数百年の伝統があります。引っ張るときの力加減がポイントだそうですが、このご老人は八十歳を超えています。元気ですね。

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  • 魚の開きと豚肉の煮凝り、周作人

    今年の北京の冬はあまり寒くない。普段は一月は二日くらい零下十五度か十六度まで気温が下がるのだが、今年は最低でも零下十度だ。特に窓ガラスに結氷しない。毎年冬の朝には氷で窓ガラスに山水や花のような模様ができ、ストーブで部屋を暖めると窓台が氷が溶けた水でいっぱいになる。現在カーテンを開けても、窓ガラスは... 続きをみる

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  • 寧波の年餻

    中国の寧波というところでは、新年の祝いにこの「年餻」というものを作って、食べるそうです。日本の「もち」に似ていますね。

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  • ヤマモモ、周作人

     「嘉泰会稽志」巻十七に「ヤマモモ」という項目があり、「ヤマモモの実がなると、好きな人は小舟でそこに行く。舟に酒の樽と採取したヤマモモを並べているのは奇観だ。女性は簪代わりに髪に飾るがヤマモモの実の赤と葉の緑が調和し、とても美しい」と書いてある。  子供の頃ヤマモモの山のことはよく聞いたが、行った... 続きをみる

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  • 総理衙門、周作人

     勤孟さんが宜興の土鍋 で作ったごった煮について書いていたが、とても面白かった。普通の一品だけを煮たものより平民的で、しかも土鍋で煮るのは銅や錫の鍋で煮るより美味しいのだ。食べ物をじっくり煮込むには陶器が一番いい。琺瑯引きでもダメで、土鍋が流行っているのも当然だ。  他の地方はどうか知らないが、北... 続きをみる

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  • 五月の青島、老舎(多田敏宏訳)

    訳者は青島に四年間滞在していました。

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  • 茶水、周作人

     故郷の田舎の冠婚葬祭などの風俗について詳しく述べる意思もないし、その能力もない。多くのことを忘れてしまっているし、記憶もあやふやだからだ。一族の中では私が一番年長なので、教えを乞える人もいない。詳述しようとしても、その力がない。私にできることは、いくつかの細かな点を思い出し、記録しておくことだけ... 続きをみる

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  • 南京の紹興料理レストラン、周作人

     二十年前、南京に紹興料理専門のレストランがあったそうだ。どの場所にあったか、店の名はどうだったかは、この話を私にしてくれた人は言わなかった。あるいは言ってくれたが、私が忘れたのかもしれない。彼は北京大学の元学生で、教育学部に数年在籍したが、その期間いつもその店で食事をしていた。あるいは食事に行っ... 続きをみる

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  • 口かない、腸に充つ、周作人

     「千字文」に「口かない、腸に充つ」という言葉があるが、とても面白いと思う。人類がものを食べる動機を要領よく説明しているからだ。人類といったのは、普通の動物がものを食べるのは飢えを満たすことだけが目的だからだ。楽しく充分に食べることを大切にしているのは人類だけだ。うまいかまずいかを区別し、現在なら... 続きをみる

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  • 詩聖杜甫は漢方薬を売って糊口をしのいでいた(中国のサイト)

     杜甫は三十五歳の時(西暦746年)に長安に到着し、十年間滞在した。政治上の挫折を何度か経験し、仕官の道は順調ではなかった。生計を維持するため、杜甫は他人に頼らざるを得ず、幾人かの貴族や金持ちの「賓客」となった。「朝に富児の門をたたき、暮に肥馬の塵に随う。残杯と冷灸と、至るところひそかに悲辛」とい... 続きをみる

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