多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

南京の紹興料理レストラン、周作人


 二十年前、南京に紹興料理専門のレストランがあったそうだ。どの場所にあったか、店の名はどうだったかは、この話を私にしてくれた人は言わなかった。あるいは言ってくれたが、私が忘れたのかもしれない。彼は北京大学の元学生で、教育学部に数年在籍したが、その期間いつもその店で食事をしていた。あるいは食事に行っても断られたこともあった。紹興府に属する人が行っていたのは、故郷を思ったからだろうが、他の役人もかなり行っていたのは何故だろう?そのレストランは一間にテーブルが二つが三つあり、父子二人でやっていた。客はテーブルが空くのを待たなばならなかった。腹が減って料理が待ちきれずに催促すると、店主が皮肉たっぷりに「待ちきれないのならお帰りください」と言い返していた。料理は日常食べるものが中心だったという。シイタケと筍の豆腐煮込み

とか

ニンニク煎り豆腐

のようなものが中心だったろう。料理の種類は多くなく、注文にも制限があった。三人か四人で行って、料理を四つか五つ注文すれば、給仕が「多すぎて食べきれません」と言って、一品減らしていた。特殊な仕事の仕方で、客の要求をよく断っていた。それで有名になったのかもしれない。

 紹興の農民も同様に封建社会の圧迫をうけていたが、意地っ張りの気風が残っており、誕生日を祝うときも、北方のように何度も土下座はせず、一言「おめでとう」と言って終わりだった。話をする時も率直で、飾ることもなかった。が、先に述べたような父子が国民党の首都で店を開き、しかも山村の気風を保っていたことは、実に得難いことだ。奇人と言っていい。

(1950.8)

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