多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

李白と酒(清風夜雨)

中国のサイトにありました。

 「李白一斗詩百篇、長安市上酒家に眠る。天子呼び来れど船に上がらず。自ら称す臣はこれ酒中の仙と」。杜甫のこの詩を細かく味読しても、李白の酒を飲んだ後の豪放さを賛美し、物に縛られない性格に感服しているのか、命の如く酒を愛した酔っぱらいとして描いているのか!はっきり言えない。李白の酒好きは皆の知るところだが、どういう程度だったのか?彼の「将進酒」という詩に明確な答えがある。「鐘鼓饌玉貴ぶに足らず、但だ長酔を願いて醒むるをもちいず。…五花の馬、千金の裘。児を呼びもちだして美酒に換えしめ、なんじと同にけさん万古の愁」。私たち凡人から見れば、李白はまさに「狂人」だ。「長酔」のためには、どんなものも気にかけず、金銀財宝や名馬、錦までも酒に換えてしまう。道理で後世の人が「酒仙」と呼ぶわけだ。

 疑いなく、李白の一生において、酒は創作の源であった。酒を飲んで、空は人々に愛される多くの詩を書き、それらは貴重な芸術的財産となっている。が、残念なことに、命の如く酒を愛したため、彼の生命は早く終わってしまった。

 李白の死因については多くの説がある。最もロマンチックなのは、酒に酔って水に入り月を捕まえようとして溺死したというものだ。ある月の夜、李白は酒に酔って興奮し、川に浮かべた舟から水面に映った月を見て、それを捉えようと飛び込み、溺れ死んだと伝えられている。

 また、李白の生涯はでこぼこで、長い間鬱屈を抱え、重度の慢性膿胸を患って死んだという説もある。また、酒の飲み過ぎで死んだとも言われている。

 結局、李白はどうして死んだのか?1980年代後期の各界専門家の研究によれば,アルコール中毒は李白の死の二次的な要因で、鉛中毒が主要因だそうだ。李白が詩の中で取り上げている唐代の酒器は十七種ある。出土した実物を分析すると、青銅と黄銅で鋳造したものが多い。内外の技術者の鑑定によると、多かれ少なかれ鉛を含んでいるとのことだ。

 研究によれば、酒に7パーセントから20パーセントの鉛が含まれていれば滑らか中毒を引き起こすという。史料によれば李白は酒を温めて飲む習慣があった。温めると酒器に含まれている鉛は一層容易に酒の中に溶け出す。鉛が溶け込むと酒は甘みを増し、酒興を刺激する。こういう甘みのある酒が李白の癖になったのだろう。

 李白の詩句から判断すると。三十五年以上にわたって酒を飲み続けてきたようだ。それだけの長期間鉛を含んだ酒器で酒を貯め、酒を温め、酒を飲んでいれば慢性の鉛中毒を引き起こすのは大いにあり得る。

 史料によると、李白は晩年奇行が目立ったそうだ。酒の店で酔っ払って眠ったり、天を仰いで大笑いしたり、高力士に靴を脱がせたりだ、医学の立場から言うと、これらはアルコール中毒だけではなく、鉛中毒の症状でもある。

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