多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

中国史の人物と糖尿病(中国のネットから)

皆さんのブログを拝見していると、糖尿病の方もおられるようです。中国古代にも糖尿病の人はいました。

 現代人と同様、古代の人も糖尿病で苦しんできた。古代の人々は糖尿病を消渇症と呼んだ。

 「史記」に記載されている司馬相如は、史書に書かれた最初の糖尿病患者だ。彼の愛情物語についてはよく語られているが、「相如口吃す。善く書を著すも、常に消渇の病あり」という一面はあまり注目されていない。彼は消渇症を患っていた。前漢時代は糖尿病に対する認識が不十分だったが、唐代になって医者の孫思邈が「酒をやめ、房事を節制し、塩を制限し、小麦粉食を減らそう」と呼びかけるようになった。

 次に糖尿病の有名人として挙げられるのは、我々のよく知る著名な詩人杜甫だ。彼は詩の中で、よく自らの症状を描いている。「消中にて日々に枕に伏し、伏すこと久しくして塵くつに及ぶ」はベッドから起き上がれないという描写で、「目を閉じること十旬をこえ、大江も渇きを止めず」というのは厳しい喉の渇きを表現している。「渇を病みて身いずくにゆかん、春生じて力さらに無し」は疲労と無力を描写し、「餐に臨みて吐きてさらに食らい、常に撫孤にたがわんことを恐る」とは、吐き気と嘔吐だ。

 彼の体からはいつも乳飲み子のような乳臭さとすえたような匂いがしていたが、消化不良だったのだろう。

 

これらは皆現代医学の指摘する重度の糖尿病とその併発症だ。

 糖尿病で命を落とした皇帝もいる。歴史資料ならよれば、隋の煬帝は糖尿病だったそうだ。古代の人の言う消渇症だ。

 記載によれば、隋の煬帝さ毎日「口と舌が乾き、数リットルの水を飲み、数リットルの尿を排出していた。徐々に骨と皮だけに痩せていったので、詔書を出して侍医に診察させたが、それらの医者をみんな斬り殺した」と言う。多飲、多食、多尿、そして体重の減少などの隋の煬帝の様々な症状は、まさに糖尿病のそれだ。雄大な戦略を抱き続けた一生だったが、最後は病気で死んだ。

 有名人であろうと普通人であろうと、現代人であろうと古代人であろうと、病気はすべての人に公平だ。誰かに偏ることもないし、誰かを見放してくれるわけでもない。きちんとした予防をせず、放縦な生活を続けで健康をそこなえば、遅かれ早かれ病いを得る。健康な生活習慣を実践してこそ健康な体を維持できることを皆に訴えたい。

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