多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

杜甫と疫病パンデミック(封面新聞記者李貴平)

 唐の開元二年(714),三歳の杜甫は、洛陽建春門内の叔母に預けられていた。叔母は杜甫を我が子のように愛しんだ。叔母の息子は杜甫よりいくつか年上だったが、仲も良く、楽しく過ごした。しかし、良いことは長く続かず、洛陽に疫病のパンデミックが発生し、杜甫と叔母の息子が感染した。

 叔母は色々薬を探し求めたが、医者に家の柱の東南に寝かせると治ると言われた。おいがかわいそうだと思ったおばはもともと柱の東南に寝ていた自分の息子と杜甫の位置を入れ替えた。まもなく、杜甫は奇跡的に治ったが、不幸にも息子の方は死んでしまった、成長した杜甫はこのことを思い出すたび、思いが込み上げてきた。

 パンデミック、病苦、幼い頃の経験、これらを杜甫は心にきざんだ。慈愛と同情が杜甫の詩歌に濃厚なヒューマニティーという色合いを与えたのである。杜甫にとってはおばこそが母であった。無私の愛だけではなく、自らの息子と引き換えに命まで与えてくれたのである。

 杜甫が生活した中唐期にはパンデミックが頻繁に発生した。「衡岳江湖大にして、蒸池疫癘偏なり」という詩句から、衡陽一帯で発生したパンデミックで河川や湖が汚染していたことがわかる。また、「峡中一たび病に卧し、瘧癘冬春を経る」という詩句から長江流域のパンデミックのため、彼が何年かマラリアで苦しんでいたことがわかる。「江南は瘴癘の地、逐客は消息なし」というしでは、パンデミックの江南に追われた友人の安否を気遣っている。「南方瘴癘の地、この農事の苦しめるに罹る」という詩は、南方でのパンデミックが農業生産に重大な影響を与えていることを描いている。

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