多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

宗璞、粥療法

 子供の頃から病気がちだったが、何とか六十歳まで生きてきた。これからも生きていくのは簡単ではない。1960年代後期、「文化大革命」という大災難に伴い、重病を患った。年月の経過とともに、記憶も淡くなっていき、身近な人と平等になった気もする。が、私自身に注意を促すためか、一昨年の末、父を失った悲しみの後で、再び重病を患い、遠近に名を知られる大病人になった。
 病中様々な方から深く心配していただき、私は少し軽やかな気分になった。病床に臥しているときも軽やかな気分になり、二十年前に夫の弟が上海から郵送してくれた「粥療法」という本のことを思い出した。薄い古いタイプの本で、古書を扱っている出版社が出したもののようだった。粥の良さを記述しており、様々な粥を紹介していた。ヤマイモの粥やユリの粥、ハスの実の粥など一般的なものも紹介しており、それらを作って父に食べてもらったこともある。肉類を使用して作る粥は、かなり複雑だった。それぞれの粥の効能も記してあった。だが、我が家の多くの本と同様、その本も夫が管理していたのだが、まもなく行方が分からなくなった。
 その後友人に聞いたところでは、「百種類の粥」という本があって、粥について詳細に記しているとのことだった。「粥」は出版界で人気があるのだろう。
 病中は外に出られなかったので、部屋の中をうろつくしかなかった。身の回りの整理ができるほどに体力が回復すると、たまたま陸游が粥について書いた詩「世の人は長生きをしようと頑張っているが、長生きの方法が目の前にあることを知らない。私は『宛丘』という本を読んで発見した、粥を食べているだけで神仙になれるのだ」が目に入った。さらに研究してみると、「宛丘集」を書いた張耒は「粥記」という文も書いている。「張安定は毎朝起きると大きな碗一碗の粥を食べて空腹を満たす。きめ細やかな粥は最高に素晴らしい食べ物だ。斉和尚によれば、山中の和尚は毎朝粥を食べる。もし食べなかったら終日体調が悪いそうだ。毎日粥を食べることが養生の道だというと、人は大笑いする。体を養い楽しみを求めるのは、実は深遠なことではない。寝食の間のことだ」
 さらに調べていくと、蘇東坡も粥を好んでいた。「夜腹が減ったので、呉子野が白米の粥を食べるよう勧めてくれた。新陳代謝を促進し、胃にもいいという。粥を食べた後ひと眠りするのはとても気持ちがいい」
 見たところ、宋代はかなりの名士たちが深く粥を理解していたようだ。あまり粥療法を重んじてこなかった私は、自らの知識の少なさにため息をついた。

 南方の人は粥よりもごはんに湯や汁をかけたものを好むようだ。幼い頃昆明にいたが、梅さんの家に住んでいた。私と弟、そして子供の頃から大人になるまでずっと友人だった同窓の梅祖芬さんと三人で時々余ったご飯をこっそりつまみ食いしていた。ある日、雲南特産の稲で造ったご飯に湯をかけ、それに腐乳(発酵させた豆腐の一種)を加えて、一人が二碗か三碗、おなかがいっぱいになるまで食べた。すると胃が痛くなって起き上がれなくなった。梅さんのおばさんは訳を知らなかったので、三人の具合が悪くなり、驚き慌てた。が、酵母剤を飲んだら三人ともよくなった。梅さんのおばさんは今は百歳近い年だが、なぜあの時三人の胃が痛くなったかは、知らないままだ。あの時粥を食べていたら、胃は痛くならなかったかもしれない。

 1959年桑干河畔に下放されたが、そこではトウモロコシをひいて潰したものを煮てご飯にし、「格仁粥」と呼び、薄い粥にしたものを「格仁稀粥」と呼んでいた。私の印象では「粥」と呼ばれたご飯より、「稀粥」の方がはるかに食べやすかった。大家のおばさんが炒ったトウモロコシとアズキ、豆類をひいて潰したものを煮て粥状にしていたが、それらも粥と呼ばれた。下放が終わって北京に帰ってきたら、そのおばさんが人に頼んでそういう粥の材料を一袋送ってくれた。みんな美味しいと言った。だが久しく食べていると、白米の粥が恋しくなった。ただ北方の農村では米が多くないので、米の粥は簡単には手に入らないのである。

 広東の粥こそ素晴らしいと思ったこともある。確かロサンゼルスから飛行機に乗って夜中に広東に着いたのだが、小さな食堂で魚の粥を食べた。ほかほかと湯気が立った粥が運ばれてくると寒さも吹き飛んだ。碗の中に緑のネギと浅黄色のピーナッツの粒が見え隠れし、少し混ぜると白い魚の肉が見えた。口に入れると、暖かく、美味しかった。北京に帰ってから、「広東の粥」に思いを寄せ、店で買ったり自分で作ってみたりしたが、当時のものには及ばない。当時の体の状況や環境のゆえだろう。

 陸游が「貧乏になると粥の美味しさがわかり、年をとると睡眠のありがたみがわかる」と言っている。粥の根本的な道理は淡泊に甘んじることにある。淡泊であってこそ養生も可能となる。精神的にも肉体的にも。それゆえ魚や肉を使った粥は白米だけの粥に及ばない。白米の粥を作るにはいい米が必須で、インディカ

米ではいい味が出ない。そして適度な粘り気が必要で、濃すぎても薄すぎてもダメだ。さらに適切な添え物も必要となる。人によって違うが、紅楼夢の賈母はキジを揚げたものを好んでいた。私は少量のごま油と白砂糖を使った桂林の腐乳(豆腐を発酵させたもの)、あるいは皮を剥いたピーナッツを醤油に浸したものを添え物として粥を食べるのがてんかの美味だと思う。

 当時蘇東坡はどんな添え物で粥を食べていたのだろう?

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