多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

苦い茶について、周作人

……が、愉快なこともあった。以前私が苦い茶について書いたことを覚えていた友人が、特殊な茶葉をついでに買い、送ってくれたのだ。よく知っている友人で、好意にはとても感謝しているが、その茶は非常に苦く、多くは飲めなかった。
 友人によれば苦丁茶というそうだ。

本を調べてみたが、日本の本にしか載っていなかった。ツバキ科の常緑灌木で、幹は太く、葉は大きくて、十センチくらいの長さだ。晩秋に葉のわきに白い花が咲き、山地に自生するという。日本名は唐茶または亀甲茶と言い、中国名は臯蘆または苦丁という。趙学敏の「本草拾遺」の巻六に「角刺茶は徽州に産する。土地の人が二月か三月に茶を摘むときに同時に十大功労の葉も摘むが、俗名を『ネズミのとげ』といい、葉を『苦丁』と呼ぶ。あぶって茶にして尼寺に出荷し、そこから金持ちの女性に転売される。女性がこれを服用すると妊娠しなくなり、妊娠を防ぐ第一の妙薬だ。五百グラムが銀八銭だ」と記されている。十大功労とネズミのとげは五加皮

の木の別名で、五加皮科に属し、洛陽灌木だ。苦丁の名があり、茶として飲めるといっても、別のものだろう。それにこの茶を飲めば妊娠を防げるとは友人は言っていなかった。

 臯蘆について他の本を調べてみた。「広州記」に「臯蘆は茶の別名で、葉が大きくて渋く、南の人が飲む」とあり、「茶経」にも「南方に瓜蘆という木があり、茶に似ているが、苦くて渋く、これを飲むと一晩眠れない」とある。南方の木のようだが、いったいどんな植物なのか?本を読んでもわからなかったので、茶壷の中から葉を一枚取り出して、押し葉にするときみたいに平らにして乾かした。細かく見ると、私の故郷で墓のそばによく植えられていた木であることに気がついた。方言で、狗朴と呼ばれる樹木で、葉の長さは七センチ、幅は四センチ、縁はのこぎりの歯のような形状だ。確かに亀の甲に似ている。茶として飲めるとは知らなかった。だがとても苦くて渋く、多くは飲めない。
 しかし、私は興味を持った。白菊以外で、葉を茶として飲めるものがあるのだろうか?「毛詩草木鳥獣虫魚疎」の「山にツブラジイあり」

という部分に「山に生えるツブラジイは田畑のものと大差ない。葉は耳のような形で、呉の人はその葉を茶として飲んでいる」と記されている。

 また、「五雑俎」の巻十一に「緑豆を少し炒め、熱湯に入れる。

緑色で、香りは新茶に劣らない。茶のない人は代わりに飲む」とある。黒豆を炒めてコーヒーの代わりにするのと同じだ。

 また、「芽吹いたばかりの北方の柳の芽を湯に入れると、

茶よりおいしい。曲阜にある孔子一族の墓地のオウレンボクの芽

も煮ればおいしい。福建中部のブッシュカンをスープにすれば、

清らかな香りで、色と味は旗槍に次ぐ」ともある。巻十に孔子一族の墓地のオウレンボクについて「その芽は香りがあって苦く、茶の代用品となる。食べてもおいしく、俗に黄連頭と呼ぶ」との記載がある。私は孔子一族の墓地には行ったことがなく、オウレンボクがどんな樹木かも知らないが、黄連頭は子供のころ食べたことがある。とてもおいしかった。

 木の芽を茶葉の代わりに使うことについては、「湖雅」の巻二に「桑の芽の茶。

山中に俗名を新桑英という木があり、若芽を摘んで茶の代わりにする。蚕の食べる桑とは別のものだ」、「柳の芽の茶。柳の芽も茶の代わりになる。美しい緑だが、香りはない」と記されている。

 茶の代わりになるものは多くあり、コーヒーなどの舶来品もある。いろいろあって面白いとは思うが、私は、茶、それも緑茶しか好まない。紅茶やジャスミン茶はコーヒーに近い感じがする。大した理屈はない。子供のころから家で本山茶

を飲んできたからだ。のどが渇けば湯を飲むが、いつもそこに茶葉を入れる。それに慣れて、規則のようなものになっただけだ。茶を理解し、味わい、何か哲学や主義を持っているか?必ずしもそうではない。苦い茶が好きで、苦くない茶は飲まないのか?必ずしもそうではない。それでは詩や庵の名に「苦い茶」という言葉を使っているのは偽りなのか?必ずしもそうではない。私は出家はしていないが嘘はつかない。説明が必要なら、小学校に行けばいい。わが友沈兼士さんがこんな詩をくれた。「茶碗を捧げ持つと澄み切っている。魚は古くから歌を詠む。眼前のすべてを覚えてほしい。茶はもともと苦いのだ」

(1935年2月)

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