多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

蘇軾のグルメ詩

 赤壁の賦で有名な北宋の大詩人蘇軾のグルメ詩です。

  野菜スープの歌
 私は南山のふもとに居を定めた。服飾、飲食、器物、用具は家のものと同じ程度だ。貧乏なので山海の珍味は味わえず、カブラやナズナを食べている。それらを煮る時も酢と醤油は使わないので、自然の味だ。簡単に手に入るのでいつも味わっており、そこで書いてみた。
 窮迫した生活を哀嘆する。逃げているウサギのように不安におののき、各地を流浪している。何が原因か?飢えで腹が減っているが、年数のたった穀物でしのぐしかない。好みの家畜を飼うこともできず、有難くも隣の人に野菜を分けてもらっている。
 山の泉で洗い、新鮮な葉と根を拾う。かまどに火を入れて鍋に油を入れると、よだれが出てくる。サンショウやシナモンの類も入れない。湯が沸騰すると鍋から音が聞こえてくる。そうすると強火にする。野菜が熱湯の中で上下し、濃いスープができあがる。芳醇で甘美だ。
 碗に入れ、しゃもじと箸を準備して、朝と夕を過ごす。新鮮な野菜スープのにおいをかぐと、よだれが溢れるが、食べてみると牛、羊、豚、魚、ジャコウジカと同様においしい。易牙が料理の技術をもって斉の桓公に迎えられたことを蔑視する。傅説が野菜スープを使って商王武丁を補佐したことを超越する。味にかかわる道教の神がもめ事を引き起こすことをかまどの神は嫌っている。丘嫂が粥がないと偽って劉邦の友人をもてなさなかったのは、狭量だ。魏の将軍楽羊は自分の息子を殺して肉スープを作ったが、人間のやることではない。
 私は心が穏やかで、老いても気持ちはゆったりしている。どのくらい食料があるか数えてみたが、長い間貧困にあえぐほどではない。肉を食べようとする災いを忘れ、野菜スープに安んじる。命あるものを殺さないので、「仁」だ。自身を誰にたとえよう?歌舞が上手だった葛天氏の子孫だろう。


  豚肉讃歌
 鍋をきれいに洗って、水を少し入れる。たきぎや雑草を燃やして、弱めの火を起こす。鍋に豚肉を入れて、とろ火でじっくり煮込む。あせってはいけない。やわらかく煮えるまで、ゆっくり待つのだ。火がいきわたると、豚肉は極めつけの美味となる。
 黄州にはこういう素晴らしい豚肉があるが、値段は泥土のように安い。身分の高い人やお金持ちは食べようとせず、貧乏人は「煮る」ことを知らない。私は朝起きると二碗煮て、腹いっぱい食べる。どうか構わないでくれ。(訳者注:役人でもあった蘇軾が左遷されたときに書いたもの。この豚肉料理は「東坡肉」として現代まで伝わっている)


  美食家の歌
 著名な古代の料理人包丁や易牙が調理をするなら、新鮮な水と清潔な器を使い、ちょうどよい加減の火を燃やす。食物を蒸したり煮たりしてから陰干しにすることもあれば、とろ火でゆっくり煮ることもある。
 肉を食べるなら、子豚の首の後ろの部分の肉が最高だ。カニを食べるなら、霜が降りる前の肥え太ったカニのはさみが一番だ。サクランボを鍋でじっくり煮てジャムのようにするのもいいし、杏仁汁を蒸しておいしい菓子にするのもいい。アサリは半分熟したものを酒に漬けて食べるのがいいし、カニは酒かすと一緒に蒸すのがいい。天下のこれらの美食が、私は大好きだ。
 宴席では、桃李のように美しい女性が伝統のある楽器を奏でたり、美しい衣装で踊ったりするのがいい。貴重な南海のグラスにワインを注げば、最高だ。
 先生の六十歳という長寿を私に少し分けてほしい。酒を飲んでほほが赤くなったが、音楽で目が覚めた。玉が落ちるような、細かい絹糸のような、絶妙な歌声が突然聞こえた。手がだいぶ疲れたが、ほとんど休まない。強い酒がおいしい料理のように思える。上等の茶を注ぎ、百の酒を置いた船を池に浮かべよう。秋の池のさざ波を味わい、楽しんでいるみんなは春の濁り酒に酔っている。
 美人の歌舞が終わり、先生も目を覚まして、去ろうとする。そのとき、私は松風のような音を立て、カニの目のような泡を出し、名のある器で雪花茶を淹れた。先生が大笑い、何のこだわりもない。

×

非ログインユーザーとして返信する