多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

遅子建、故郷(中国東北地方)の食(一)

 北方人は食べるのが好きだ。が、南方人のように工夫を凝らして精緻なものを食べるわけではないので、料理の味は濃く色も暗い。それゆえ宴席に使えるものはとても少ない。しかし一般民衆は宴席料理を必要としているわけではないので、そういう普通の料理こそ私たちが最も好むものだ。

 年越しでも祝日でもなければ、ふだんみんなが食べるものはとても質素だ。私の故郷はとても寒く、冬が長くて草も生えない。それゆえ新鮮な緑色野菜は食べられない。私たちが食べるのは、すべて晩秋に地下倉庫に蓄えておいた野菜だ。ジャガイモ、ダイコン、ハクサイ、ニンジン、ダイトウサイ、カボチャで、当然漬けておいたものや夏に天日干しにしておいた乾燥野菜もある。サヤインゲン、ズッキーニ、ナスを乾燥させたものだ。人々は煮込み料理を好むが、特に冬はいろいろな野菜を一緒に煮込む。大きな器に入ったスープと野菜の煮込みをテーブルに置く。そこからホカホカと熱い湯気が立っている。寒さもしばし忘れるだろう。人々は主食を煮込みに浸すのを好む。トウモロコシのクレープやコーリャンの飯などを煮込みに浸すと、歳月の洗礼を受けた酒のように、格別に芳醇な味となる。夏になると、野菜をみそにつけたり炒めたりする。ホウレンソウやキュウリ、ネギやレタスなどの碧緑のとれたて野菜を生のままみそにつけて食べる。そしてキンサイとトウガラシは炒める。この季節の主食は冬季のような乾いたものではない。人々は粥を好んで食べる。インゲンマメを入れた粥やコーリャンの粥、アワと緑豆の粥がこの時期の食卓の主役だ。

 祝日になると、普段とは違うものを食べる。立春になると、それぞれの家で春餅(小麦粉をこねて焼いたクレープのようなもの)を焼く。


春餅は油を使いすぎてはダメで、紙のように薄く伸ばさないといけない。弱火で鍋の中で何度かひっくり返し、表面が夕焼けのような黄金色になってきたら、出来上がりだ。春餅を焼いてから、絹糸のように細く切ったジャガイモを炒め、それを春餅で巻いて食べる。まさに春が暖かく帰ってきた感じだ。春餅の他に、この日は「春」をかじる。まるで冬から残っている硬い石のように、歯でかじらないと春の息吹が漂ってこない。かじるのはダイコンだ。立春になると、ダイコンはサクサクしたものよりカサカサしたものが多くなる。それゆえ「春」をかじるときのダイコンを選ぶのは、皇帝が姫を選ぶときのように曲折がある。見た目はどうか、肥えているか、汁気はたっぷりか、きっちり見る。不思議なことだが、「春」をかじると、清らかな香りがどこから漂ってくる。春の草木が息を吹き返すのだろうか。

 立春が過ぎると、清明節だ。清明節には籠を下げて山に行き、亡くなった親族の墓に参る。籠には赤く染めたゆで卵が入っている。墓に供えたあと持ち帰り、生きている人の食卓に置き、みんなで分けて食べる。このゆで卵を食べると運が良くなるという。誰かの家で子供が生まれると、主人は鶏卵を煮て赤く染め、親戚や近隣に配る。赤い鶏卵は、出産と死亡という両極の間を歩いているようだ。まるで形のない大きな手のようで、片手で赤ちゃんをこの世に送り出し、もう一方の手で朽ち果てた生命を土の中に迎える。それゆえ清明節の鶏卵は、土の香りがする。


 清明節が過ぎると、だんだん暖かくなって、野の花が咲き、草も成長する。そして端午節がやってくる。それぞれの家で干しておいたシュロの葉を水に浸し、もち米も水に浸して、チマキを作る準備が始まる。チマキは普通菱形で、五色の糸でシュロの葉を縛ると、色鮮やかな小袋のようだ。チマキには通常餡を挟む。甘いものが好きな人はナツメとこしあん、塩辛いものが好きな人は肉の塩漬けだ。蒸し終わったチマキを冷水に浸しておくと、二、三日は悪くならない。当時父がよく端午節の由来を話してくれた。屈原が汨羅江に身投げしたとき、人々がチマキを作って川に投げ入れ、魚に食べさせた。魚が屈原を食べないようにということだ。魚がチマキを食べたらどうして人を食べなくなるのか、私はずっと考えていた。私たちだって一度の食事で二つか三つの料理を食べるのである!おやつと同様、チマキは外で食べてもいい。門の横木に赤い瓢箪を結んだ柳の枝とヨモギを、端午節のときは挿しておくのだが、赤と緑が格別に鮮やかだ。そこに立ってチマキを食べるのは、無限の風光だ。当時屈原の詩は全く知らなかったが、きっと立派な詩人だろうと思っていた。この世に詩人はいっぱいいるのに、祝日をもたらしてくれたのは屈原だけだったからだ。

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