多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

古き良き北京の乳製品、唐魯孫

 北平(北京の旧称)の嬭酪と言えば、現在四十歳を過ぎ、北平で成長した人なら、味と形を知っているかもしれない。それより年が下なら、北平で成長した人でも印象はないだろうし、聞いたこともないかもしれない。

 北平の嬭酪は、満洲人の日常食品の一種で、甘いものだ。純粋な牛乳に適量の酒醸と砂糖を加え、一碗ずつ炭火であぶる。

一定の程度になると、氷で凝結させるのだが、潤いがあって滑らか、口に入れると甘みが広がり、心までしみ通る。食後に一碗食べると、消化を助けて脂っこさを取り去り、酒の酔を覚ましてくれるよき品だ。

 かつて北平に豊盛公という店があったが、そこの店主は頭が良く、清朝の宮廷で専門に乳製品を作っていた人を招き、宣伝にも努めたので、豊盛公の嬭酪は一世を風靡した。

 嬭酪は、売れ残ったものを次の日に売ることは出来なかった。当時は冷蔵庫がなかったので、一晩経つと質が落ちてしまったのだ。それゆえ売れ残った嬭酪は、その日にあぶって酪干というものにして、売った。

一つの店で一キロくらいだっただろう。一週間もたないのが普通だったが、豊盛公の酪干は、南京や上海まで持っていくことができた。一ヶ月くらいは品質が落ちなかった。北洋政府の時期、北平に駐在していたスペイン公使の夫人が豊盛公の酪干をとても気に入り、オランダの高級チーズより美味しいと言っていた。公使が帰国してからも、夫人は毎年豊盛公からスペインまで数キロの酪干を取り寄せ、クリスマスを祝った。

 嬭酪の他に、豊盛公には嬭卷と嬭饽饽も売っていた。嬭卷

は牛乳から作った膜で、サンザシのペーストもしくは黒や白のごま餡を巻いたものだ。雪のように白い磁器の小皿の上に、中が赤で外が白のつややかな嬭卷が置いてあるのは、見ているだけで食欲が湧く。嬭饽饽は、ごまと白砂糖の餡もあればナツメの餡もある。

牛乳から作った厚い膜でそれらを包み、型に入れて様々な形にした菓子だ。

 十数年前台湾の中華路のスイーツ店が、二日間だけ嬭酪を売ったことがある。杏仁豆腐に近い味で、私の知る嬭酪ではなかった。ある年の端午節、台湾高雄のある店の店長が、突然数碗の嬭酪を作り、自分で味わおうとした。私はたまたまその場に居合わせたので、好意で二碗食べさせてもらった。中華路のものより上で、台湾に来て二十数年たって、なんとか嬭酪を口にできた気がした。

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