多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

アモイの春巻、舒婷

 春巻の普及範囲は狭い。心から知るのは福建南部の人だけだ。アモイと泉州は共に福建南部だが、春巻の体系は異なり、独自の発展を辿っている。

 アモイで数年仕事をした外地の人が、必ずしも正統のアモイ春巻を知っているとは限らない。冬の盛りになると街路の小さな露店で春巻を売り始めるが、それらは大衆化されたもののようだ。

 稀な客が来ると、北方人はギョーザを作ってもてなすが、南方人は春巻を作るのか?違う。大統領のごとき上客であっても、春巻がすぐに作れるわけではない。まず、季節の問題だ。一番いいのは春節の前後だ。清明節を過ぎると、多くの材料の味が落ちる。たとえば、カキは生臭くなる。そして、作るのに時間がかかる。細かな包丁さばきが要るので、落ち着いた気持ちも必要だ。詩を作る時のような敬虔さが必要なわけではないが、落ち込んだ状態だと指を切り落としてしまうかもしれない。

 霜が降りると、春巻の主力が姿を見せ始める。が、春巻用の平底鍋はまだ使わない。秋の日が輝き、人々は屋根にまだノリを干さない。この時期はキャベツにはまだ芯があり、柔らかく炊けない。ニンジンにはシワがあって、明るくサクサクした状態ではない。カキはまだ肥えていない。少しずつことが進んでいき、春巻を愛する人は食指がわずかに動き出すが、まだ本格的に始動はしない。

 ついにヒスイのようなエンドウが市場に出回り、春巻の皮を売る小さな露店が街に並び始める。主婦たちが市場から帰ってくる時は、体が傾いている。買い物籠が重いからだ。

 バラ肉を千切りにしてじっくり炒める。豆腐干を千切りにして黄色くなるまで炒める。キャベツ、ニンニク、エンドウ、ニンジン、シイタケ、冬タケノコをそれぞれ千切りにしてじっくり炒め、一緒に混ぜる。そこに新鮮なむきエビとカキ、肉と豆腐干の千切りを加えてさっと炒め、一緒に大鍋に入れてとろ火で煮込む。

 春巻の皮は街で買うが、紙のように薄く、かつ柔らかで、強靭なものでなければならない。皮をテーブルの上に広げ、トウガラシの入った味噌を塗り、水を切ったコウサイの葉を置き、ノリを散らして、水分を切って長方形にしたさっき煮込んだものを包む。それで春巻きの出来上がりだ。

 アモイの春巻はまるで恋愛のようだ。皮の薄さは薄氷を履んでいるみたいだし、細かな作業は恋人の心理を探るのに似ている。材料選びにはいい加減さは許されず、驚きと喜びが入り混じる。

……

 私の舅と夫、息子はみな春巻に目がない。今年冬が来ると、息子は探るように「母さん。僕は一つ歳を取ったのだから、春巻は四つ食べてもいいよね」と尋ねた。夫は意味ありげに「買い物籠を持つのを手伝おうか?」と言った。舅は寡黙な人だが、春巻が食卓に乗るとご飯の量が倍になる。結局、いつもの通りに春巻を作るしかない。

 幸いなことに、私は娘はいない。

 残念なことに、私に娘はいない。

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