多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

周作人「茶を飲む」から

…私が茶を飲むのは、緑茶を飲んで、その色と香りと風味を味わうことに主眼があり、必ずしも渇きを癒すためだけではないし、当然食欲を満たすためだけでもない。

中国ではかつて茶の葉を煎じたり粉にしたりしたが、現在では湯に浸して飲むだけだ。岡倉覚三が「茶の本」で「自然主義の茶」という上手な言い方をしているが、私たちが重きを置くのはこの自然の妙味なのだ。中国人は茶館に行って、茶碗に囲まれ長い間飲んでいるが、まるで砂漠から帰ってきたようなありさまで、私が茶を飲む時の気持ちと合致している。

福建や広東には「功夫茶」なるものがあると聞くが、それも理屈に合うものだ。

ただ残念ながら最近は西洋の影響を受け、本来の意義を失い、「レストランの飲み物」になってしまっている。農村部に古い伝統がわずかに残っているが、家屋や道具が質素に過ぎる。「茶を飲む」意味を体現しているとも言えるが、「茶の道」を体得しているとまでは言えない。

 茶を飲むときは瓦屋根と紙を張った窓の下で、清らかな泉の水で緑茶を淹れ、質素だが趣き豊かな茶碗を使う。

二、三人でともに飲めば、半日の閑が得られるが、それは十年の夢に値する。茶を飲んだ後、再びそれぞれの仕事を続けるわけだが、名のためであれ利のためであれ、それはやむを得ない。だがたまに優雅なひとときを過ごすことは絶対に欠かせない。中国では茶を飲む時によくスイカの種を食べるが

、あまり適切ではないと思う。茶を飲むときに食べるのはもっと軽い「茶請け」であるべきだ。…江南の茶館には「干絲」と言われるものがある。

豆腐干を千切りにし、細かく切ったショウガと醤油を加え、とろ火で煮込み、ごま脂をかけて客に出す。豆腐干の中に「茶干」と呼ばれるものがあり、茶とよく合う。

ある寺の住職の作るものが絶品だと聞いた。食べたことはあるのだが、もう忘れてしまった。ただ南京下関の江天閣で食べたことしか覚えていない。学生たちの習慣では、ふだんは「干絲」が出てきても、すぐには食べず、ごま油を再度加え、湯をもう一度入れ替えてから、箸をつける。すぐに食べてしまうと、次から次へと出てきて、対応できなくなってしまうからだ。…
 日本ではご飯に茶を注いで食べるが、これは「茶漬け」と呼ばれ、「たくあん」という漬物で味をつける。とてもさっぱりとした風味だ。中国人がこういう食べ方をするのは、困窮している時か節約している時だけだが、さっぱりとした茶とご飯に味わいを見出す者が少ないのは残念だ。(1924年12月)

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