多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

端午節、鎮江のジギョは肥えていておいしい、趙珩

 魚を食べるなら湖北だ。武漢三鎮の人はみなそれを誇りにしている。確かにその通りで、湖北省内を流れる長江には食べられる魚が百種類以上いる。川の魚もいれば、川に入ってくる海の魚もいて、魚料理は湖北料理の重要部分となっている。
 十年前湖北に行ったとき、招待者が漢口の老通城という料理屋で宴を開いてもてなしてくれた。ケツギョの蒸し物

などの湖北の有名料理が出て、最後に天下に名を馳せているタチウオ麺

が出てきた。とても美味しく、実にいい経験だった。
 ジギョの蒸し物

も出てきた。招待者は「晩春の今こそジギョの季節だ。ぜひ味わってほしい」と言った。味わった後私は、漢口のジギョは絶品とは言えない、高価な宴会料理ではあるが、私が鎮江の小さなレストランで味わったジギョの蒸し物よりはるかに落ちると感じた。

 ……
 1974年、私は用事で鎮江に行った。日が暮れ腹も減ったのでレストランを探したが、当時の鎮江は今ほど栄えていなかったので、やっとのことであまり大きくはないレストランを見つけて、入った。1966年に鎮江に行ったときに時間がなくて食べられなかった鎮江の名物料理湯包

と肴肉

の有無をまず給仕に尋ねた。給仕は「あります」と答えた後、熱心にジギョの蒸し物を勧めた。ジギョは小骨が多く、その時は金もあまりなかったので私がためらっていると、給仕は「鎮江のジギョは一番美味しいです。小さいのならそんなに高くありません」と言った。その時隣のテーブルに座っていた年老いた男性がこっちを見て「今日は端午節、ジギョを食べるのが当然です」と語り、私の代わりにジギョの蒸し物と湯包、肴肉を注文してしまった。
  肴肉はとてもよかった。長方形の薄く切ったもので、薄紅色。髪のように細く切ったショウガが乗っており、塩加減も新鮮な肉と火腿の中間で、ちょうどよかった。湯包にはカニみそは入っていなかったが、皮は紙のように薄く、つまみ上げて噛み、汁を吸ってみると、実に鮮烈な味だった。ジギョの蒸し物に至っては、形も色も、まさに魅力的。

三十センチくらいの長さで、四筋か五筋切れ込みが斜めに入り、そこにタケノコと火腿の薄切りを挟んでいた。周囲をシイタケで囲み、白、赤、黒の三色が見事な調和を見せ、輝いているようだった。少量の紹興酒以外は、ほとんど調味料を使わず、魚本来の新鮮な味わいを保っていた。
 ジギョは近海に生息するが、毎年旧暦の四月か五月に長江に入って産卵し、その後近海に戻る。ジギョの肉が細やかで柔らかなのは、うろこに脂肪が多くついているからだ。うろこはとても薄く、加熱すると溶けてしまうので、ジギョの蒸し物を作るときはうろこは取らず、えらと内臓だけを取る。鍋に入れて蒸すとうろこが魚肉の中に溶け込み、美味を増すのである。
 ジギョが高価なのは、長江で捕獲するのが容易でなく、数が少ないからだ。後で知ったのだが、長江のジギョでは鎮江のものが最も美味しいのは、長江の幅が鎮江のあたりではとても広く、ジギョの回遊に適しているからだ。ことに端午節前後のものが最も肥えていて美味しい。

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