多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

ガチョウの肉を食べる、周作人

 公白さんの「糟高頭」という文を読んだら、故郷への懐かしみが湧いてきた。私はガチョウの肉が好きだからだ。糟ガチョウ

であろうと、燻ガチョウ

であろうと、

紹興風蒸しガチョウであろうと、

北京では食べられない。


田舎ではガチョウの肉はキメが粗いので、そんなにいいものとはされていない。新年の客や祝日の酒席では使わず、食堂でもニワトリやアヒルならあるが、ガチョウは普段はない。が、私はキメの粗さの中にある甘みが好きで、ニワトリやアヒルより上だと思っている。が、上述の理由により、普段はあまりないので、特殊な機会を待たねばならない。
 なぜかは知らぬが、墓参りのときは燻ガチョウを食べるのが通例だ。醤油と料理用酒、酢を混ぜ合わせたものにつけると実に美味しい。他に、例えば春分のときの先祖を祭った堂の祭祀のときは、紹興風蒸しガチョウを紹興風蒸しニワトリの代用品として食べる。最高なのが新年を祝うときだ。三種類のいけにえの一つがガチョウで、よく肥え太っている。祭祀が終わると、一部を紹興風蒸しガチョウの材料にするが、大部分を糟で漬けるので、灯を消すまで食べていられる。
   北京にもガチョウがいないわけではない。ただ北京の人はガチョウを雁と見なしているので、積極的に食べることはない。婚礼のときに赤く飾り付け、かついで花嫁の家に持っていくのである。古色蒼然たる「奠雁」(婚礼のときに新郎が花嫁側に贈る雁の木像)の代わりだ。

一回済むと売りに出されたり貸しに出されたりで、再び赤く飾り付けられる。私は、そのガチョウを購入して食べようと思ったことがある。が、礼品の代わりとして使われていると肉が硬くなって、美味しくないかもしれないと考えた。私たちの田舎では、普通はガチョウの肉を食べることを忌避しない。祖母は嫌がっていたかもしれないが。

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