多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

茶のスープ、周作人

……が、(古人は)何を食べていたのか?調べようにも本がない。日常の雑事については書くのが面倒なので、記載が極めて少なく、まったく様子がわからない食品も往々にしてある。これはとても残念なことだ。今、範囲を少し狭くして、一つか二つのことについて、過去と現在を関連付けてみよう。
 「水滸伝」の中で王おばさんが茶店をやっている。が、見たところ茶はあまり淹れていない。西門慶に「梅スープ」や得体の知れない「和合スープ」を飲ませている。西門慶が「少し甘くしてくれ」と言っているのを見ると、甘いものだったのだろう。

それが終わると「生姜スープ」を二碗出している。その後武大娘を招き、「濃く茶を淹れ、松とクルミの実を加え」たものを出しているが、これは緑茶ではなく、スープの類だろう。
 ここで北京のいわゆる「茶のスープ」を思い出した。

小麦粉に砂糖と水を加えて調理し、再度湯を加えて飲むもので、藕粉(レンコンから取ったでんぷん。お湯でといて飲み物にする)に似ており、子供たちが好む。ほかに「杏仁茶」

や「牛骨髄茶」

というものもある。よく似たものだが、別の風味があり、「茶のスープ」と混同してはならない。この「茶のスープ」を見て、王おばさんが松とクルミの実を加えたという飲み物は、この手のものだと思ったのだ。茶葉は六朝時代に始まり、唐時代の人はすでに愛飲していたが、一種のぜいたく品で、一般民衆の手には入らなかった。「水滸伝」の中で茶を飲んだり茶で人をもてなしたりする場面を描いているのは、「茶」という名称を使用してそれらの飲み物を指しているに過ぎない。

 この例を見ると、煩瑣な事物に対する記載も、現在の風俗と比較すれば、明らかになることもあることがわかる。現在の材料は小説だけで、どんなに頑張っても宋より古い時代のことはわからない。漢時代の食については、知るすべがないようだ。

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