多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

砂糖と塩、周作人

 以前故郷にいた頃は、正月前に年越しの品を買っていたが、ほとんど南方の商品で、それを買い入れるのは子供の役目だった。去年の記録を元に増減するのだが、「台太」、「本間」、「台青」などの名前の砂糖があったことを覚えている。「台太」は細やかで白く、きれいな砂糖で、新年の客がちまき

や中華もち

を食べるときにつけていた。買うのは少しだけだった。ふだんよく使っていたのは「本間」で、黄色がかっていたが、甘くて美味しかった。。「台青」は赤砂糖で、レンコンの砂糖漬け

を煮るときは欠かせなかった。「泉水」という名の液体の黒砂糖もあった。等級は一番下のようだったが、風味があった。

 精製した高級品は見た目はいいが、美味しくないことが往々にしてある。現在数キロ一袋で売っている砂糖や角砂糖がそうだ。西洋レストランのテーブルに置いてある精製塩は塩辛いだけで、美味しくない、取るに足りないものだ。田舎で買い入れる未精製塩は色々な物質が混じっているが、それゆえにかえって美味だ。精製塩でハクサイやカラシナの漬物を作っても、未精製塩に劣るだろう。

 水も泉の水が一番美味しく、次が雨水と河川水(水道水の源)で、蒸留水は衛生的ではあるが、味がない。すべての精製したものと同じく、純粋な化合物なので、単調なのだ。

 インテリや学者も人間を精製したもので、本来の泥臭さと性質を失ってしまっており、一般人とは隔たりがあって、近づき難い。

 砂糖や塩を人間に喩えるのは、「売柑者の言」という古文と同じやり方だ。この喩えは誰でも容易に連想できるので、ここで取り上げるのは俗っぽさを免れないが、いつものことかもしれない。

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