多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

ダイコン餻、林文月


 だんだん寒くなってきて、壁にかけているカレンダーが新年に変わった。新年一月の最後の一週間、日曜日を中心とした四日間に赤い印をつけている。喜びが湧いてくる。新暦を使い、西洋人の生活方式を真似て隔週で二日が休みになってはいるが、もし伝統的な祝日がカレンダーから消えてしまえば、生活は無味乾燥なものになってしまう。

 現在に至るまで、私たちの言う「新年」は、大抵は旧暦の新年のことだ。今来たばかりの新暦の新年ではなく、もう捨てられたかもしれない旧暦の新年だ。時が進んで旧暦の十二月になると、街頭が賑やかになってくる。南北の年越し用品が現れ始め、各種の春聯

も道端の露店で目立ち始める。多くの家庭もその影響を受けたのか、台所、甚だしくは部屋の隅にいつの間にか乾燥食料やドライフルーツが積み重なり始める。スーパーやコンビニでいつでも必要なものが手に入るから、現在は年末年始の時期に多くの食料を蓄えておく必要はないが、中国人の新年はそういうものだ。家の中に食べ物があふれ、一家の人が集まって食べたり飲んだりしながら、のんびりと楽しく賑やかな数日間を過ごす。

 そして中国人の新年の多くの食べ物の中で、最も欠かせないものといえば、年餻だろう。……
 中国は国土が広いので、地方によって年餻も異なる。江南地区の人民はもち米で作った「寧波年餻」を多く食べ、

広東や福建南部の人は、千切りダイコンと尖米を混ぜて作る「ダイコン餻」

を食べる習慣がある。

 私が幼い頃家庭は色々なところを移ったが、母は毎年自ら台所に行き、頑固にダイコン餻を作り続け、一家全員に食べさせた。それゆえ、上海で新年を過ごしたときも、上海人の食べる「寧波年餻」は食べなかったし、東京で新年を過ごしたときも、日本人が食べる大小二つの餅を重ねて作った「鏡餅」は食べなかった。食べたのは台湾の言葉で「菜頭粿」と呼ばれるダイコン餻だった。……
 私の家は家族が多かったので、新年は、大きな蒸籠を二つか三つ使ってダイコン餻を作らないと間に合わなかった。新年が近づくと台所が忙しくなることに子供たちは興味を持ち、出たり入ったりして観察したが、大人たちの仕事の邪魔になった。母も不機嫌となり、手伝っている女中さんたちも煩わしそうに「外に行って遊びなさい!」と注意した。母が年をとると、少しずつ成長していく女の子に調理を見せて勉強させ、時には手伝わせた。「心を込めて勉強しなさい。私がいなくなったら、あなたたちが作るのよ」と、母は言った。
 母が世を去ってから、果たして私は自分の台所で少女時代の記憶に基づいて、旧暦十二月の歳末にあわただしく作業を始めた。ダイコン餻を作る手順はかなり煩雑で、素材の種類と使用量も多い。往々にして台所のいたるところに物を置いている。米漿とダイコンの千切りに、うっかり人がぶつかってしまうこともある。子供の頃どうしておばさんたちに台所から追い出されたのか、やっとわかった。
 ダイコン餻は一家だんらんの大みそかのごちそうに欠かせない。旧暦では一年の最後の日は二十九日のことが多かった。…ダイコン餻を作るのに一番いい時間は二十九日の二日前だ。そうすれば他の料理の調理とぶつかってとんでもないほどの忙しさになることを避けられる。また、あまり早く作りすぎると、放置している間に新鮮味がなくなってしまう。
 普通はその一日前に「在来米」とダイコンを買う。現在では米屋やスーパーでひいた米粉
を袋に詰めて売っているが、確かに便利だ。以前は夜に米を洗って、水に浸しておき、次の日の朝女中のおばさんに水を切ってもらい、近くの豆腐屋に持って行ってもらっていた。いくらかの代金を払って米を漿にしてもらうのだ。

そして濃厚な米の漿を再度袋に詰め、その上に重しを置いて余計な水分を絞り出す。そうしてやっと使えるようになる。今日の台北市は高層ビルが林立しており、旧式の豆腐屋を探すのも大変だ。幸いなことに袋詰めの米粉を使えば時間も力も省略でき、喜ばしいかぎりだ。ビニール袋を開けて清水を加えるだけで、前の日の夜から次の日の朝まで十時間近くかけてやっていたことが、できる。ただ水の量と加え方には注意が必要だ。水は徐々に注入しなければならず、焦りは禁物だ。箸かスープ用のさじで水と米粉を均等にかき混ぜる。少し硬くなればオーケーだ。柔らかすぎる米漿はダイコン汁を受け入れられず、ダイコンの香りと味を減らしてしまう。それゆえ水を使うときは、ダイコン汁の水分を考慮に入れなければならない。これは初めて作る人にとっては、わかりづらいかもしれない。が、何事も経験を蓄積すればだんだん上手になっていく。レシピの類を参考にしてもいいが、自分の手を動かしてこそ、「冷暖を自ずと知る」境地に到達できる。
 ダイコンと「在来米」(あるいは米粉)の比率は3:1くらいだ。言葉を換えれば、米が五百グラムだと1.5キロのダイコンが必要になる。こうして作った餻にこそ濃厚で芳醇なダイコンの味と香りが宿る。白ダイコンを洗って水を切った後、削り器を使って糸状にし、塩を少し振りかける。そうするとダイコンの汁が一部しみ出てくるが、それをあらかじめこねておいた硬めの米漿の中に入れる。

 かつて母が私に作り方を教えてくれた台湾式ダイコン餻は先に千切りダイコンを炒めた刻みネギの中に入れて加熱し、柔らかくしてから調味料と一緒に米漿の中に入れていた。冷たい米漿が炒めて熱くなった千切りダイコンと接触すると、すぐに糊状の半固体になった。が、結婚してから夫の故郷の潮州式ダイコン餻の作り方を学び、子供たちもそれを好んだので、母から伝えられたやり方とは少し異なる作り方をするようになった。その作り方は後述する。

 蒸し上がった潮州式ダイコン餻は、台湾式や広東式のダイコン餻より少し硬くて、噛みごたえがある。それは千切りダイコンを加熱せず、直接米漿と混ぜて蒸すからだ。当然、調味料は事前に準備しておく。

 味を整えるものとして、豚肉、シイタケ、むきエビ、ピーナッツ及び青ニンニクが必須だ。豚肉は脂肪の少しついたモモ肉の皮を剥いて、千切りにする。シイタケとむきエビはあらかじめ水に浸しておき、シイタケは千切りにする。ピーナッツは皮を剥いてあるものを購入し、洗った後大きな碗に入れ、水に浸す。青ニンニクは洗った後水を切り、斜め方向に切っておく。ダイコン餻が出来上がったときにきれいに見えるようにこれらを配分する。が、餻が主でこれらは従であることを忘れてはいけない。

 千切りにした豚肉とシイタケを砂糖を少し入れた醤油につけて味をしみ込ませる。油を入れた鍋にまず青ニンニクとシイタケ、むきエビを入れて炒め、その後千切り肉を入れて炒める。塩、醤油、砂糖、胡椒、化学調味料などは一般の炒め物より多く入れる。水に浸したピーナッツは炒める必要はない。水を切って置いておく。

 米漿、千切りダイコン、調味料などが準備できたら、これらを均等に混ぜる。……

 ます米漿を容器に入れる。それに千切りダイコンを加え、きれいに洗った手で米漿とこね合わせ、均等に混じるようにする。最後に炒めた調味料と浸したピーナッツを入れる。調味料を炒めたときのスープや油分もその中に入れる。

 潮州式のものを作るときは、広東式や台湾式の時より濃いダイコン餻にする。

 最初は夫の言う通りに千切りダイコンを少し固くなった米漿に混ぜ、両手で掴み取れるくらいの量を湯気の立ち昇る蒸籠の布に置いていた。蒸籠一層に三個、空気を通すために隙間も必要だ。……その後作り方を改め、ペースト状になったダイコンを蒸籠の布の上に置いた餻の上に敷くようになった。

 ダイコン餻を蒸す蒸し鍋は、大きめのものがいい。

普通はアルミ製のニ層のものを使う。…

 ダイコン餻を蒸すときは強火にして、緩んだ鍋の蓋

から空気が漏れないようにする。蒸し鍋の一番下の層に七分目まで水を入れ、それが沸騰したら、ペーストを八分目まで盛ったアルミ製の容器を各層に一個ずつ置き、蒸す。美しく見せるため、あらかじめとっておいた千切り肉、シイタケ、むしエビ、ピーナッツなどを表面に振りかけておく。

 蒸すのはだいたい一時間から一時間半。箸を挿入してもねばつかず、濃厚なダイコンの香りが漂ってきたら、完了だ。

 うまく蒸せたダイコン餻は乳白色で、油がキラキラ輝き、上に置いた千切り肉やむきエビが彩を添えている。

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