多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

漬物とオオクログワイのスープ、汪曾祺

 なぜかは知らぬが、私たちの家では雪が降ると漬物スープを飲んでいた。雪の日はチンゲン菜が買えないからか?違うだろう。大雪が三日間降り続き野菜売りが外へ出られない事態にでもならない限り、いつも市場で売っていた。たぶんただの習慣だろう。朝起きて雪が舞っているのを見ると、今日の昼は漬物スープだと思ったものだ。

 その漬物はチンゲン菜を漬けたものだった。私の故郷では白菜を栽培していなかった。たまに売っていたが、「黄芽菜」と呼ばれ、他地方から持ってきたもので、とても高かった。黄芽菜と肉の細切り炒めは高級料理で、ふだん食べるのは、すべてチンゲン菜だった。チンゲン菜はアブラナに似ているが、アブラナよりはるかに高くて大きい。秋になると漬けるのだが、ちょうどチンゲン菜の旬だ。チンゲン菜を五十キロほど買ってきて洗い、陰干しにして水分を取り去った後、甕に入れる。野菜を敷いた後、その上に塩を敷き詰め、重しを載せて終わりだ。食べたい時に取り出すのだが、次の年の春まで食べられる。
 四日か五日漬けたものもとてもおいしい。決して塩辛くはなく、細やかで柔らかく、さくさくとして甘みがあり、何に例えてよいのかわからないくらいだ。
 漬物スープは、その漬物を小さく切った後、煮て作る。雪が降るころになると、漬物は塩辛く酸っぱくなっている。漬物スープは暗い緑色だが、慣れていない人は食べる気になかなかならないだろう。
 漬物スープにオオクログワイを切ったものを加えることもあるが、それこそが漬物とオオクログワイのスープだ。オオクログワイと漬物のスープと言ってもいい。
 子供のころは、実はオオクログワイが好きではなかった。苦みがあるのだ。民国二十年(1931年)故郷で洪水があり、作物はみな産量が減ったが、オオクログワイだけが豊作だった。その年はオオクログワイ、それも先端部分をとっていないオオクログワイを多く食べたのだが、実にまずかった。
 十九歳の時に故郷を離れ、あちこちを転々としたが、三、四十年クワイを口にしなかった。また食べたいとも思わなかった。
 数年前、春節の数日後、沈従文先生の家に年始の挨拶に行ったとき、食事をしていくよう言われたが、ご夫人の張兆和さんがオオクログワイと肉の炒め物を作ってくださった。沈先生はオオクログワイを二切れ食べると、「これはいい!ジャガイモより格が高い」とおっしゃり、私もそれを承認した。食事の時は「格」の高低にこだわるべきだと、先生はいつもおっしゃっていた。オオクログワイとジャガイモを含めて、何にでも「格」を大切にされていたのである。
 久しく離れていたので、オオクログワイに対する思いが湧いてきた。数年前、北京の野菜市場で春節の前後にオオクログワイを売っていた。それを見かけ、少し買って帰り肉と一緒に炒めようと思った。家の者はみないやがったので、オオクログワイはすべて私が「包囲」するところとなった。
 北方の人はオオクログワイを知らない。私が買うと、いつも「それは何ですか?」ときかれる。「オオクログワイです」、「オオクログワイとは何ですか?」。これには答えようがない。
 北京のオオクログワイはとても高く、温室で作ったトマトやキジの首、ニラと同じくらいの値段だ。
 漬物とオオクログワイのスープが飲みたい。
 故郷の雪が懐かしい。

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