多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

三度の食事、周作人

 私の故郷の田舎では、一日三度食事を作って食べていた。それだけ食べることに熱心だったと言える。食事のたびに食材を買って料理しなければならなかったので、朝食の時は早い時間に市場に行って買い物をする必要があった。市街地の朝市の慌ただしさは、他の土地ではめったに見られないほどだった。川一つ隔てた杭州では異なっていた。杭州では朝は汁かけご飯

を食べるので、午前中の買い物はゆったりしていた。

 が、三度の食事と言っても、ご飯を重視し、おかずには重きを置いていなかった。海の近くで魚とエビが常にあり、貧富を問わず口に入ったので、北方よりマシだったが。ご飯を炊くときはかまどを使い、稲藁を燃やしていた。中に三層の棚がある蒸し鍋を使い、


一つの層に料理を四皿置いて、蒸していた。マコモ

はご飯の中に入れ、ごはんを炊く棚で干しエビスープ、

鮮魚の塩漬け、

魚の開き、

などを調理した。ご飯がきちんと炊けると、客を呼んでも大丈夫なくらいの料理もできている。鶏肉の炒め物やエビの塩漬けの炙りもの

を作る際は、別に小型のコンロを用意して調理した。

 汪龍荘さんは湖南で知事の職を務めたが、上記の食事の作り方を極力提唱していた。かまどや鍋について、「善俗書」という自らの著作の中で詳述している。が、こうやって蒸すやり方にも欠点があった。たとえば、漬物を入れた皿が傾いたら、ご飯全体ににおいが移ってしまうことなどだ。かまどを扱う人は経験が豊富だったが、そういう失敗はよくあった。

 (1950.6)

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