多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

タケノコ閑話、周作人

 新聞や雑誌で少数民族の生活に関する文を読んだが、とても面白かった。特に西南方面の集落に住む人たちは、西北部に住む人たちより興味深い。私は行ったことがないので実情はわからないが、集落の内外は竹が多く生えているはずで、南方に生まれ育った私は親近感をもつ。

 子供の頃「黄岡竹楼記」を読んだ。文言は全然覚えていないが、竹楼の影はずっと私についてまわり、憧れを感じた。

その後ダイ族の生活について書いた文の中にも竹楼が出てきたのをみて、思いが湧いてきた。竹楼の下部では豚を飼い、上部で人が生活をするのだが、どうということはない。私は竹楼のこういう構造が大好きだからだ。現実の竹楼と古文に出てきた竹楼はかなり違うのかもしれない。が、どのみち竹で作ったものだ。竹と聞いて、各種のタケノコを思い出した。それがこの文を書いた理由なのだが、「花より団子」は子供だけのことではないのである。

 私は北京に四十年以上住み続けており、その間南方に帰ったことはない。異郷の生活には慣れているのだが、よく故郷の食べ物を思い出す。どうにも忘れられないのである。それらの大半は北方にはない。近年交通が発達し、飛行機に乗れば、朝出発すれば晩には故郷に着くのだが、送っても味が伝わらないものもある。食品のタケノコが第一で、

次に煮たヒシの実、

そしてフルーツのヤマモモなどだ。

清時代のある人が「いかれた莫さん」という文に書いている。「莫さんは浙江山陰県の人だ。変わり者だったので、みんな『いかれた莫さん』と呼んでいた。が、莫さんはすごい博識で、医術や占星術、詩や古文に通じていた。そして詩の中で『五月のヤマモモと三月のタケノコ、なぜ人は山陰に滞在しないのか?』と書いた。故郷への思いが抑えられず、書いたのだろう」。莫さんのこの詩の言葉は北方に滞在する紹興人の心情をよく表現している。李越縵の文にもよく出てくるし、兄魯迅も「朝花夕拾」の中で「いっとき故郷で食べた野菜や果物を何度も思い出した。…それらは実に美味で、私を故郷への想いへと誘った。が、実際に食べるとそんなに大したことはなかった。記憶の中でのみ、旧来の意味が残っているのだ。それは私を一生騙し続け、時たま私の思いを駆り立てるのかもしれない」と書いている。

 今はヤマモモのことは置いておき、タケノコの話をしよう。タケノコはヤマモモほど特別ではない。近年北京の人も冬タケノコを食べるようになったし、乾燥させたタケノコなら以前からある。

が、ここで話したいのは新鮮なタケノコ、モウソウチクのタケノコだ。そして、新鮮なタケノコは新鮮なヤマモモと同様、遠方に移動すると味が大幅に落ちてしまう。冬タケノコは、遠くに運ぶのも可能だが、モウソウチクのタケノコ、ハチクのタケノコの類は飛行機を使っても無理で、外に運べない。味わいたければ、自分が行くしかない。美味しい食べ方も言葉では言い尽くせない。…孟子は「うまきもの口に足らざるため」と言っているが、タケノコにはその「うまさ」がある。中国の文人は古来タケノコを賛美してきたが、蘇東坡はその中の傑出した一人だ。タケノコのうまさは東坡の名を冠した豚肉に劣るものではない。

 モウソウチクのタケノコはとても大きく、だいたい十キロくらいある。それを切って煮れば玉のようだ。

タケノコを大きな塊に切り分け、塩もしくは醤油でじっくり煮ると、新鮮で甘美な味がする。山の人のみが享受できる美味だ。

1964.7

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