多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

梅の実を語る、周作人

 中国の風雅な人たちは、ずっと梅の花を愛してきた。その第一は宋代の林逋で、梅の花と恋愛までしていた。これは私たちにとっては理解困難だ。その後の詩人には、雪の日に笠をかぶって舟に乗り梅の花を見に行くような人もいたし、ずっと家にこもり梅の花そのものは直接見なかったが、詩の中で月や林と一緒に詠んでいた人もいた。画家にとっては、梅の花は品格の高いものだったようだ。点のような梅の花は絵でよく見るし、蘭や竹、菊よりも等級が上だった。私が不思議に思うのは、詩や絵で梅の花はよく取り上げるが、梅の実は取り上げないことだ。私のような俗人にとっては、梅の花をめでたり梅の花を描いた扇をもらうより、梅の実をいくつかもらう方がいい。古代の詩には梅の実はよく登場するのだが、絵にはほとんど登場しない。青くて丸っこい梅の実はみてくれもいいと思うのだが、なぜだろう?。

 私の故郷では梅の実をよく売っていた。直径六センチくらいで、テーブルに置き、こぶしで叩くとすぐ割れた。さくっとしてとても酸っぱかった。砂糖や塩、刻みタバコの葉をつけたりする人もいたが、それは正統なやり方ではない。正統なやり方は、大胆に口を開けてガブリと噛むことだ。酸っぱいことは酸っぱいが、他の食べ方では味わえない新鮮さがある。梅の実を天日干しにしてからジャムにし、貯蔵するのもいいが、新鮮なものには及ばない。

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