多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

酒を断つ、老舎


「中国、茶・酒・煙草のエッセイ」から


 酒はあまり強くないが、二杯ほど飲むのは好きだ。酒を飲めば多くの友人と交われるが、それが酒の愛すべきところだ。酒が入ると、話が普段より率直になり、心が深く通い合って、莫逆の友となる。人は「飲んだ」後にのみ、生活の決まり事を投げ捨て、「矛先」や「様々な論理」を露呈するのかもしれない。私の顔からも俗っぽさが減少し、真っ赤になり、それらしくなる。
 社会に出て仕事を始めてから二十五、六年たつが、全部で何度酔ったか覚えていない。が、つらつら考えてみるに、恥は「かなり」かいてきた。恥をかいたら、もしかしたら箔がついたかもしれないので、後悔はしていない。酒の悪いところは酔った勢いで聖人君子の恨みを買うことではない。酒を飲んでもそれだけの肝っ玉がないのはかわいそうではないか。酒の本当に悪いところは脳を傷つけることだ。
 「李白一斗詩百篇」は、ある詩人の別の詩人に対するお世辞のような言葉だ。私の経験では、酒を飲むと脳がマヒして鈍くなる。酒は決して思想を増加させるものではない。酒を飲まないと詩が作れないということも聞くが、それは例外であり、正常ではない。貧血病を患っていた時は、酒を飲むたびに病が重くなった。飲んでいないときは頭が「ぼんやり」していたくらいだが、飲むと「くらくら」し始め、著作の妨げになった!
 胃腸病にとっては、よりひどい害がある。去年、胃腸病を治すため、医者は私に断酒するよう厳しく言った。去年の秋から冬まで、一滴も飲んでいない。

 酒を飲まないと、おしになったようだ。叫ぶことも、笑うことも、しゃべることもできない!活きていけないかもしれない!が、飲まないといいこともある。胃腸が快適になったし、頭も「ぼんやり」するが「くらくら」はせず、毎日千字か二千字の文章を書けるようになった!一気に百篇の詩を作ることなどできないが、途切れることなく小説が書けるのは確実だ。もうしばらく断酒を続けよう!

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