多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

エンドウマメ、汪曾祺

 北市口の炒め物を売っている露店と私の小説「異秉」の王二の露店では、炒めたエンドウマメと油で揚げたエンドウマメを売っている。小さな包み一つが二十文で、塩をふりかけている。食べながら家まで歩くのだが、家に着くころには食べ終わっている。


 

 私の家からあまり離れていない越塘のそばの空き地に、軽食を売っている露店がいくつか出ている。花生糖を売っているものもある。じっくり炒めても雪のように白いピーナッツの実を、油を塗った白い石の板に並べ、煮詰めた氷砂糖をそこに垂らし、冷めてから取り出す。この花生糖は透明に輝き、ナイフで切る必要はない。大きな塊をガラスの箱に入れているので、必要なだけ取り出して、買う。氷砂糖がサクサクしていて、ピーナッツは香ばしい。豆腐脳(煮えた豆腐を固めた食品)を売っているものもある。北京のように羊肉の汁をかけるのではなく、醤油と酢、ごま油を少し加えて食べるのが基本だ。が、多様な調味料を使う。むき身の干しエビ、刻み葱、ニンニクペースト、ザーサイの粉末、セリの粉末などだ。私はセリの香りが好きだ。こうやって作った豆腐脳はとてもさわやかで、北京のとろみのある粘っこいものより、おいしい。

砂糖入りのエンドウマメの粥を売っているものもある。米とエンドウマメを銅の鍋の中で一緒に煮込み、盛りつけた後粉砂糖を一さじ加える。夏の昼、柳の陰ですすると、なかなかだ。故郷を離れて五十年以上たつが、今でもエンドウマメの粥の香りを覚えている。

 エンドウマメを使用した食品で、北京で最も有名なのが、「豌豆黄」だ。実際は製法は簡単で、エンドウマメをじっくり煮込んで皮を取り、細かな餡にして少量の白砂糖を加える。押し広げて、十五センチ×十センチの長方形に切り分け、再度それを切る。それを並べて楊枝で食べるのである。「宮廷のおやつ」と言われており、かつては小さな食堂でも、安い値段で食べられた。現在は大きなレストランにしかなく、とても高い。

 夏に曇りと雨が続くと、煮たエンドウマメを売るようになる。粒ごとエンドウマメをじっくり煮て、塩を少し加え、ニンニクを入れ、茶碗で量り売りをしている。虎坊橋で「ばか」が売っていて、多く入れてくれた。虎坊橋一帯に「ばかがエンドウマメをいっぱいくれる」というしゃれ言葉がはやったが、北京の他地区にはない。煮たエンドウマメを思い出すと、北京の夏の雨が心に浮かぶ。

 以前、型で作ったエンドウマメの菓子があった。エンドウマメを煮てペースト状にし、様々な模様の木の型に押し込んで、それを出す。猫や犬、ウサギや豚などがあった。買うのは子供だけで、遊んだ後、食べた。
 以上述べたのは乾燥エンドウマメだ。取れたてのエンドウマメも野菜として食べる。エンドウマメといろいろなものを混ぜて煮込むと、季節に合った新鮮な料理になる。サイコロ状に切った火腿(中華風ハム)と混ぜると、とてもおいしい。煮込む時間が長すぎると、よくない。スープが灰色になるからだ。

 ここ数年、全国でオランダエンドウを食べるようになってきた。私が食べた中ではアモイのものが一番いい。幅が広くて柔らかだ。アモイのビーフンスープにオランダエンドウをいくつか入れると、シーフードの生臭さが消せる。北京で食べるオランダエンドウは、みな南方から運んだものだ。アモイ郊外の畑で、オランダエンドウを作っているのを見たことがある。小さな棚を作り、薄紅色の花に、つやつやした緑の葉、美しかった。
……
 エンドウは画材にもなる。かつて山東で銭舜挙の画集を見た。エンドウが描いてあったが、忘れられない。鮮やかな色合いだが俗っぽくはなく、細やかでスマートな筆遣いだった。とても気に入った。日本の竹内栖鳳が描いた絵を見たことがある。エンドウの花と葉の色は銭舜挙のものより鮮麗だったが、なぜかエンドウの前に茶褐色の長い蛇が描かれており、実に真に迫っていた。日本人は蛇は美しいと感じているのだろうか?

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