多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

温州人の生食(続)、林斤瀾

 港蟹生のほかに、「白鳣生」というのもある。この「鳣」という字はあまり使われない。私の当て字だ。魚店では「魚生」と書いている。

 「白鳣生」は、生の魚肉に糸状に切った大根を加えて塩漬けにしたものを、酒糟で漬けたものだ。赤くてとろりとしたスープと一緒だ。食べるときは、蒸したり鍋に入れたりせずに、酢を加えるだけだ。砂糖を加えてもいい。クラゲも生で食べる。ゆでて食べるやり方を、温州人は評価しない。
 「白鳣生」を口に入れると、海の新鮮な香りが生臭さを圧倒する。生臭さも感じはするが、それは実は海の息吹なのだ。
 私は北京に長く住んでいるので、故郷の人が「ふるさとの味」をよく持ってきてくれる。が、この「白鳣生」だけは、生臭いにおいが漏れたら周囲に迷惑がかかるので誰も持ってこれず、私はずっと焦がれ続けていた。
 ある時、重量挙げのアマチュア選手が勇気を奮い起こし、甕に詰めて密封し、それを抱いて千里の遠くから北京までもってきてくれた。皿に盛ってテーブルに置くと、北京で生まれた私の娘はすぐに箸をつけた。ある映画監督の一家もその時来ていた。南北色々なところの人がいて、北京で生まれた娘さんもいたが、一家全員受け入れてくれた。
 その重量挙げの選手は今は海外にいる。当時のことを覚えているかはわからない。映画監督の娘さんは母親になったが、時々当時のことを話すそうだ。
 現在、海辺では「白鳣」は少なくなった。クラゲはほとんどいなくなった。様々な原因が論じられているが、汚染も重要ファクターの一つだ。土地の人たちは「子孫の食べ物を奪ってしまった」と嘆いている。
 クラゲは本来安物だったが、数が少なくなったので値が上がった。
 子供の頃、私の家はきょうだいが多かった。朝食の粥は、毎日「白鳣生」や「クラゲ」をおかずにしていた。子供たちは食べ飽きて、ときたま油条(小麦粉を練って油で揚げた食品)が出てくると、喜んだ。
 現在兄弟が会って当時のことを話すと、愚かだったと思う。

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