多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

粥と人生(三)、張抗抗

 広東に行ってから、粥に関する見識が大いに広がった。白い粥から黄色い粥という「初級レベル」から、色彩豊かな「中級レベル」へ進んだ。粥の効能も飢えを凌ぐという実用性から、美や精神の享受という「高度」へと進んだ。そういう時に「紅楼夢」を再読し、五千年の文明の歴史を持つ中華民族には悠久の粥文化があることを確信した。
 八宝蓮子粥や紅棗紫米粥、臘八粥を食べ、様々な土地の様々な粥を味わった。最近湖南に行き、漣源鋼鉄厰の食堂で「春」になるとできる粥を食べた。糊のようで弾力性が強く、粘っこくて光沢がある。香り豊かな甘みを感じた。
 しかし何人かの外国の友人は粥を好まず、中国人の粥への愛を理解しない。
 私たちも生まれつき粥が好きだったわけではないだろう。粥の源と発展、本質を探究すれば、貧困という原因にたどり着くだろう。穀物の不足と人口の多さのため、粥という中国の特色ある食べ物が生まれ、南北数百万平方キロの大地に広まり、数千年間食べられてきたのだ。
 現在私たちは穀物不足だからと言って粥を食べることはないし、食べ物を買うお金がないからと言って粥を食べるわけでもない。祖先から受け継いできた遺伝のようなものだ。粥の遺伝子は人体の血液や脂肪などと関係があるのだろうか?粥を食べる民族はどうして粥のように粘っこい気質なのか?これを突破口とすれば、生命科学の研究に重大な進展があるかもしれない。
 が、主婦として私は、今は粥をわずかしか作らない。他の家庭で粥をあまり食べなくなったのも同じ理由だろう。それは時間がないということだ。粥は貧困の産物だが、時間の産物でもある。穀物と資金は何とか準備しても、時間が準備できなければ、粥は作れない。朝はパンと紙パックの牛乳、夕食は麺類、そして粥ほど手間のかからない汁かけごはんという日々が前から続いている。
 それゆえ今日粥を食べようと思えば、恭しくいただくことになる。事前にアワや黒米、棗やハスの実を買いそろえるのは、何かの重大な儀式のようだ。聞くところによれば市場にはインスタントの粥も出回っているそうなので、もうすこしたてば、この手の儀式もただのシンボルになるだろう。時間の圧力がより強くなっていけば、粥は徐々に消えていってしまうのだろうか。下の世代の人は、粥に対する深い思いと濃い興味をあまり持っていないように思う。子供に夕食は何がいいか尋ねても、「なんでもいい」という答えが必ず帰ってくる。
 子供のことを細かく考えていると、粥に関するすべての話題が、余計なことのように思えてくる。

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