多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

ダイズ、汪曾祺

 豆の葉は、古代は野菜として食べていた。おそらくとろみのあるスープにしていたのだろう。その後、誰も食べなくなった。豆の葉のあえものや炒め物など聞いたことがない。

 私の故郷では、夏、エダマメを炒め、青トウガラシを加えて、何度か食べた。中秋節になるとエダマメを煮て、月に供えた。さやつきで煮た。父はよくエダマメの料理を作った。豆粒を小さなピーマンと一緒に煮て、醤油と砂糖を加える。豆粒がスープをすいこんだら、ふるいの上に並べて陰干しにし、豆の皮にシワができてきたら、小さな壺に入れる。酒のつまみに絶妙で、一度作ると数日食べられた。

 北京の小さな酒館では、塩水でエダマメを煮る。ある酒館では、さやをつけたままで丸ごと煮る。客がさやを切り取って食べるのだが、皿に盛ったものを食べるより美味しいという。

 

 チャンチン豆はとてもいい。チャンチンの若葉を熱湯で湯がき、水分を切り、細かく刻んで塩を加える。エダマメに塩を加えてじっくり煮込み、それをチャンチンと混ぜ合わせて、冷めたらガラス瓶に入れる。一日置いてから食べる。

 北京人がジャージャンメンを食べる時は、とても凝る。キュウリやダイコン、青ニンニクなど十数種類の野菜、それにエダマメと青豆を使う。細かく刻んだ肉とみそ、青豆を一緒に噛むのは、とても美味しい。

 北京人が麻豆腐(緑豆で作ったおからのようなもの)を炒める時は、少しだけ発芽した青豆をいくつか使う。

 三十年前北京の稲香村でいぶした青豆を売っていたが、茶請けにとてもよかった。たぶん必ずしもいぶしたものではなく、ウイキョウを少し加え、塩を少し入れて煮たものを陰干しにしたのだろう。皮に少しシワがあり、硬くも柔らかくもなく、かみごたえがあった。今はもうない。手間がかかるのに儲からないからだ。とても安かったから。

 江陰に粉塩豆があった。何故か1.6センチ位にまで成長したダイズを塩で炒める。収縮せずに白い色になり、柔らかくなる。ひとかみすれば細かな粉になるので、粉塩豆の名がついた。深みのある味で、ピーナッツよりはるかに上だ。中学時代によく食べていた。一昨年江陰を訪ね、かつての同級生に粉塩豆について聞いてみたら、今はもうないということだった。

 稲香村、桂香村、全素斎などでは、かつて笋豆を売っていた。ダイズと干したタケノコを細かく切り、醤油と砂糖で煮たものだ。今はあまり見ない。

 ダイズのもやしは甘酢で炒めるのがいい。

 ダイズのもやしのスープはうまい。南方の菜食料理店や精進料理を出す寺では、ダイズのもやしでスープを取る。ある美食家が寺で精進料理を食べた。えびでスープをとっているのではと思い、厨房へ行って確かめたところ、大鍋でダイズもやしとシイタケのへただけを煮ていた。

 ダイズの中国人民に対する最大の貢献は、豆腐と豆製品を作れることだ。もし豆腐がなかったら、中国人民の生活に大きな障害が出て、僧や尼僧、菜食店のコックは「やること」がなくなる。シイタケ、キシメジ、エノキ、キクラゲ、タケノコ以外は、菜食の主役は豆腐と豆製品だ。

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