多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

栗,汪曾祺

 栗はハリネズミのような変わった形をしている。長いトゲの生えたイガの中で何個かがぴったりくっつき、団結して成長する。その中に一つ平たいのがあって「へそ栗」と呼ばれている。味は他のものと同じだ。松かさやクルミ、ギンナンなどナッツ類の外面にはたいてい保護層がついている。リスに食べられないためだろう。 
 とれたての栗は美味しくてサクサクしている。ただ、殻がむきにくく、中の渋皮も取りにくい。栗の実を竹籠に入れ、風通しのいいところに数日ぶら下げておくと、「風の栗」ができる。果肉に少ししわがあり、かすかに柔らかく、細やかで噛みごたえがある。生の栗のように果肉が砕けてしまうこともなく、より甘い。「紅楼夢」にも出てくるので、値打ちが上がった。
 栗は調理して食べることが多い。私の故郷では栗は炒らず、火の中であぶるだけだった。銅の皿を使い、栗をいくつか赤くなった炭火の中であぶる。少し経つと、ポンという音がして、殻が裂ける。それをつかみ取り、息を何度も吹きかけてさまし、殻を剥いて口に入れる。素晴らしい甘みで、雪の日の楽しみだった。しかし、栗をあぶるとき注意しないと、目を怪我する。外国でも栗をあぶる。「火中の栗を拾う」という言葉が西洋にあるが、これはあぶった栗だろう。

 北京の糖炒り栗は、かつてはわざわざ良郷で産する栗を使っていた。良郷の栗は粒は小さめで殻が薄く、炒った後裂け目ができる。軽くひねっただけで殻が割れ、渋皮もむける。聞くとこrによれば、良郷の栗は献上品で、西太后が食べていたそうだ。(北方の多くの美味しいものは西太后に献上されていたという)。
 北京の糖炒り栗は実際は砂糖を入れていないが、昆明の糖炒り栗は実際に砂糖を入れている。昆明の栗は粒が大きく、栗を炒る大鍋が店舗の門の外に置かれ、大粒の砂を用いて炒り、しょっちゅう鍋に碗一杯の砂糖水を入れている。昆明の糖炒り栗の殻はねばねばしていて、食べると手に砂糖の汁がつくので、洗わないといけない。果肉に砂糖の汁がしみこんでいるので、とても甘い。
 炒り栗は宋時代にすでにあった。汴京に、李和児という栗で有名な店があった。
 日本人は栗を好んで食べるが、もともとは中国のような炒り栗はなかった。ある年広州交易会の座談会で日本の商人と知り合ったが、栗を買いに来たと言っていた。毎年買いに来るとのことだった。彼はかつて天津で炒り栗の店を開いていたが、日本に帰ってからも炒り栗を売っているという。天津でやっていた店の看板をそのまま日本に持ち帰り、東京の炒り栗の店に掲げているそうだ。金を儲け、中国の炒り栗に感謝しているとのことだった。 
 

 かつて北京の小さな酒屋に煮た栗を売っていた。栗にナイフで小さな切れ目を入れ、水を加え、サンショウとハッカクを入れて煮る。酒のつまみにとてもいい。現在は売っていないようだ。

 栗は料理の材料にもなる。「栗子鶏」という鶏と栗の料理は有名で、とても作りやすい。鶏肉を四角い形に切り分け、栗の殻と皮を取り去る。ネギ、ショウガ、醤油を加え、鶏肉が没するまで水を灌ぐ。その後粉砂糖を加えて、ふたをして弱火で二十分間煮込めば出来上がりだ。鶏肉は若い雄鶏のもの、栗は割れていないものを使う。
 私の父はかつて白砂糖を使って栗を煮ていた。モクセイの花を加え、とても美しかった。北京の東安門市場に西洋式のケーキやアイスクリームを売っている店があった。そこで栗の粉が入った生クリームを売っていた。栗の粉に生クリームをかけて作るのだが、食べだすと癖になる。当然値段は高い。その店は今はない。
 羊羹の主原料は栗の粉だ。「羊羹」は日本語で、湿らせた栗の粉を長方形に圧縮した菓子だが、羊とは何の関係もない。
 河北の山間部では穀物が不足しているので、山の中に栗の木を多く植えている。村人たちは栗を穀物の代わりに食べている。栗はおやつとして食べるのはいいのだが、穀物の代わりとして食べるのは胃にあまりよくないのではないか。

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