多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

干絲(乾燥した豆腐を千切りにしたもの)、汪曾祺

 南京、鎮江、揚州、高郵、淮安には干絲がある。その源は揚州だろう。淮揚料理の代表作の一つで、多くの料理書に記載されている。が、実際は「料理」ではない。ご飯のおかずではなく、茶を飲む時のつまみだ。

 揚州一帯の人は朝に茶を飲む習慣がある。「揚州人は朝に茶を飲み、晩に風呂に入る」とも言われている。揚州一帯には多くの茶館がある。茶館では茶を飲むだけではなく、軽食類も食べる。広東の「飲茶」に少し似ている。しかし広東の茶楼では店員が軽食類を乗せた小さな車を押してきて、客が注文するのだが、揚州の茶館では客が自分で色々持ってきて、それを調理してもらう。茶館に来る人は普通干絲を持ってくる。時間を潰せるし、腹の足しにもなるからだ。

 大きめの方形の特製の乾燥豆腐を薄く切り分け、さらにそれを千切りにする。それが干絲だ。乾燥豆腐一個を十六枚に切り分け、それを馬の尾のように細く切る。最初は干絲は湯がくものだったようだ。熱湯の中で湯がいて、水分を切り、それを宝塔のような形に碗に盛り付け、ごま油と醤油、酢をかけて、箸をつける。かつては干絲を盛り付ける特製の碗があった。白地に青い模様があり、碗の脚が少し高く、深い碗だが口は大きい。干絲を混ぜるのに便利だった。現在は普通の大碗を使う。私の父は五香(サンショウ、八角ウイキョウ、ニッケイ、チョウジのつぼみ、ウイキョウ)を混ぜた皮を剥いたピーナッツと青ニンニクをいつも持っていき、干絲と混ぜていた。独特の味だった。たぶん父の発案だろう。干絲の香りと淹れたての茶の香り、干絲を食べながら茶を飲むのは、まさに美だ!

 揚州人は竜井と花茶を同じ急須に入れ、湯を注いで飲む。まあまあの味だが、ウーロン茶と竜井を混ぜることはない。

干絲を煮るのはいつ頃始まったのだろうか?むき身の干しえびでスープを作り、そこに干絲を投げ込み、火腿(中華ハム)と鶏肉の千切りを入れて、じっくり煮る。冬シイタケや冬タケノコの千切りを入れることもある。干絲を湯がいたものは薄味だが、煮たものは味が濃い。が、カニやハマグリ、カキなどを入れると干絲本来の味がなくなってしまうので、使わない。

 干絲を作るのに適切な豆腐は北京にない。「大白干」というものがあるが、柔らかすぎて、すぐ切れてしまう。やむなく、高碑店の豆腐を使い、千切りにするのだが、強靭なものを選ばねばならない。私の家で客をもてなすとき使う。

 アメリカ籍のある華人女性作家が北京にご主人と一緒に来たとき、私の家で食事をするとこになった。いくつかの料理は忘れてしまったが、煮た干絲を大きな碗に入れて出したのは覚えている。彼女はよだれを流さんばかりに食べ尽くし、最後は碗のスープまで飲み干した。彼女は湖北人なので、若い頃は煮た干絲を食べていた。が、アメリカで食べるのは困難だ。アメリカには広東料理や四川料理、湖南料理のレストランはあるが、淮揚料理のものはとても少ないようだ。私が煮た干絲を出したのは、彼女の故郷を思う気持ちを尊重したからだ。あの時作った干絲はよくできたと思う。干した貝柱でスープを作った。先に書いたが、煮た干絲は濃い味でも構わないのである。

×

非ログインユーザーとして返信する