多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

昆明の鶏肉料理、汪曾祺

 中国には様々な鶏の食べ方がある。全国のいろいろな食べ方のコンテストをやれば、金メダルを取るのはどんな食べ方か?私は昆明の「鶏肉の蒸気鍋炊き 」だと思う。
 誰がこういうユニークな食べ方を考えたのだろう?たぶんまず蒸気鍋ができて、それから「鶏肉の蒸気鍋炊き」ができたのだろう。蒸気鍋は建水で作ったものが一番いい。たとえば江蘇の宜興など、陶器を作っているところならどこでも蒸気鍋を作れる。だが、他の場所で作った鶏肉の蒸気鍋炊きは建水の蒸気鍋を使ったものより味が落ちると思う。私の偏見かもしれないが。蒸気鍋が建水でできたのなら、昆明の鶏肉の蒸気鍋炊きも建水から伝わったものかもしれない。
 もともと正義路の近くの金碧路の西側に鶏肉の蒸気鍋炊きを売る店があった。店の屋号があったかは知らないが、入り口の外側に「培養正気」と書いた額がかかっていた。それゆえ、みんなこの食堂のことを「培養正気」と呼んでいた。かつて昆明の人が「今日は培養正気に行こう」と言えば、話を聞いた人は鶏肉の蒸気鍋炊きを食べに行くのだと分かった。「培養正気」の鶏肉は新鮮で柔らかく、何度食べても飽きない。いつ行っても、「今日の鶏肉はよくなかった」ということがないのである。ずっと品質を維持できるのは、武定の肥えた鶏を使っているからだと聞いた。やせた鶏の肉はカサカサで、肥えた鶏の肉は味がない。武定の鶏だけが、肥えていても味がある。鍋のふたを開けると、スープは湯のように清らかで、鶏の香りが鼻を打つ。
 聞くところによれば、「培養正気」はもうないそうだ。昆明の食堂で売る鶏肉の蒸気鍋炊きは当時の味ではない。武定の鶏を使っておらず、いろいろな鶏を使っているからだ。
 「培養正気」を復活させて、再び武定の鶏を選定するのは、そんなに難しくはないだろう。

 昆明の鶏肉の水煮は極めていい。玉渓街のワンタンを売っている露店の銅の鍋の上に細い鉄の串をのせ、そこに二切れか三切れの鶏肉を置いている。欲しければ、切ってもらって、皿に入れる。昆明人は鶏肉の水煮を「涼しい鶏」と呼ぶ。私たちはよく食べに行き、酒も少し飲んだ。
 華山南路と武成路の交差点に「映時春」という食堂があり、油淋鶏がとてもよかった。大きな鶏を生から揚げて切り分け、直径四十センチの大皿に乗せる。サンショウと塩につけて食べるのだが、二十数歳の若者が七人か八人、一人が三切れか五切れ、あっという間になくなる。

 昆明は以前、鶏のモツを売っていた、丸い箱をぶら下げた人が、街を歩いて売るのである。砂肝やレバーなどを一本の串にさしていた。鶏の腸は、売るときは切っていた。噛み応えがあって味も豊か、その上値段も安かったので。茶や酒を飲むときの格好のつまみになった。もう、昆明にはないのではないか。

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