多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

様々なダイコン(一)、汪曾祺

 北京で言うハツカダイコンを私の故郷では楊花ダイコンと呼んでいた。楊花(ヤナギの綿)が舞う頃に出回るからだ。季節感に富んだ呼び方だ。私の家から遠くない食堂の軒下で、年を取った女性が子供相手に露店でちょっとした食べ物を売っていた。楊花ダイコンが出回ると、それも売っていた。鮮やかな赤だった。コインを一枚渡すと、ナイフで切り分け、三つか四つくれた。サクサクして柔らかく、甘みがあって水分に富んでいた。故郷を離れてからは、あんなにおいしいダイコンを食べたことがない。あるいは大人になってからは食べていないと言ったほうがいいかもしれない。子供の頃に食べたものは、何でもおいしく感じるものだ。

 楊花ダイコンはそのままかじってもいいが、千切りにしてもいい。千切りにしたものに、醤油と酢、ごま油を混ぜ、刻んだ葉ニンニクをふりかける。食がとても進む。

 ダイコンの千切りを細かく刻んだクラゲの皮と混ぜる。これは、私の故郷では酒の席によく出る。
 北京の人はハツカダイコンを切ったものを羊肉スープでさっと煮て、食べる。鮮やかな味だ。

 焼いたハツカダイコンは、北京に来る前は食べたことがなかったが、とても美味しい。台湾のある女性作家が北京に来て、私に料理を作るように頼んだことがある。いくつか作ったが、焼いたハツカダイコンも作った。彼女は称賛を絶やさなかった。その日はまさにハツカダイコンの旬だった。私は干した貝柱も使った。彼女は、台湾にはこの種のハツカダイコンはないと言っていた。

 私の故郷には一種のアカダイコンがある。黄酒の杯ほどの太さで、十五センチくらいの長さだ。外の皮は深い赤紫色だが、内部は紫がかった赤と白の模様が放射線状についている。横むきに切れば、漢方薬のビンロウのようだ。分厚く切ったサツマイモも同じ天秤棒で売っており、両方とも生で食べる。

 私は淮安で初めて青ダイコンを食べた。かつて淮安中学で一学期勉強していたのだが、日曜日になると青ダイコンを七本か八本買い、ピーナッツとともに、数人の同級生と一緒にとことん食べつくした。その後天津に来て青ダイコンを食べたが、淮安のもののほうがおいしかった。初めて食べたものを美味しいと感じるものなのだろう。
 天津でダイコンを食べるのは習慣の一種だった。1950年代初め、私は天津に来たのだが、同級生のお父さんが曲芸の見物に招いてくれた。座席の前に長いテ-ブルがあり、急須と茶碗、スイカの種やピーナッツの入った小皿、それに薄切りの青ダイコンを入れた大皿が置いてあった。曲芸を見ながら大根を食べる習慣は、他の土地にはない。ダイコンを食べて茶を飲む習慣も他の土地にはない。

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