多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

五味、汪曾祺

 山西の人は本当に酢をよく飲む。山西の人が数人北京のレストランに来て、席に座ると、料理を注文する前に、酢の瓶を持ち出して飲む。隣に座っている客は目を見張る。ある年私は山西の太原に行った。もうすぐ春節だった。他の土地なら春節はいい酒を飲んで祝うのだが、太原の油や塩を売る店は「長年寝かせた酢があります。各家五百グラムです」という張り紙を貼る。山西の人にとっては重要なことなのだ。

 山西の人は酸っぱい料理も好む。娘さんの結婚話になると、その家に酸っぱい漬物の甕がいくつあるかを尋ねる。甕が多いと、その家はしっかりしているということになるそうだ。

 遼寧の人は酸っぱい漬物を入れた肉の鍋料理を好む。福建と広西の人はタケノコの酸っぱい漬物を好む。

私と贾平凹さんは、広西の南寧に行った時、招待所の食事が嫌で、外に食べに行った。

贾平凹さんがある店に入るなり、「老友麺だ!」と叫んだ。老友麺とは、タケノコの酸っぱい漬物と肉の千切りを入れた麺だ。なぜ「老友」というかは知らない。タイ族の人も酸っぱいものを好む。タケノコの酸っぱい漬物の鶏肉煮込みは有名な料理だ。

 延慶山では夏は発酵した酸っぱいご飯を好んで食べる。

よく炊けたご飯を発酵させて、井戸の冷たい水と混ぜる。

 蘇州料理は甘いと言われるが、実際は味が薄いだけで、本当に甘いのは無錫の料理だ。包子の肉餡にも砂糖を多く入れる。私は食べられない。

 四川のあずき餡の豚肉挟みと広西のサトイモペーストの豚肉挟みはとても甘く、美味しい。だが、私は二切れしか食べられない。広東の人は甘いものを食べるのが好きだ。昆明の金碧路に広東の人がやっているスイーツの店がある。なったりしたごまスープ

や緑豆餡

に、広東出身者は飛びつく。「サツマイモ糖水」は、サツマイモを切ったものをスープで煮たものだ。

どこが美味しいのか私にはわからないが、広東の人は「素晴らしい!」と言う。

 北方の人が甘いものを嫌いと言うわけではない。かつては砂糖がなかなか手に入らなかったのだ。私の家にかつて正定という田舎出身の六十歳を過ぎた家政婦さんがいた。八十歳を過ぎたしゅうとめがいた。ある時故郷に帰ったが、白砂糖を一キロ持っていった。しゅうとめが砂糖水が好きだからということだった。

 北京の人は保守的で、かつてはニガウリを知らなかったが、近年食べる人も出てきた。ニガウリを植える農民も出てきた。市場でも売るようになった。

 北京は味の面で開放が進んだ。

北方人は初春にハチジョウナを食べる。

ハチジョウナは甘いのと苦いのがあるが、苦いのは相当苦い。

 貴州のある若手の女優が私たちの劇団で芝居を学んでいた。彼女のお母さんがドクダミを彼女に送ってきた。

彼女がわけてくれたものを少し食べたが、当惑した。苦みはともかく、生臭さが強烈だった。

 劇団の幹部で、字幕を書いたり、雑務をやったりしている人がいた。辛いものをとても好んだ。昼ごはんはいつもトウガラシを食べていた。全国各地の様々なトウガラシをなんとか取り寄せ、食べていた。劇団が上海で公演したときも、専門店に行って購入していた。

 私は昆明にいた時、辛いものに慣れた。数人の貴州出身者と一緒に青トウガラシを火であぶり、塩水につけて酒を飲んでいた。ざまざまな種類のトウガラシを食べた。私が今まで食べた一番辛いトウガラシは、ベトナムで食べたものだ。1947年、ベトナム経由で上海に向かっていた時、ハイフォンの街頭で牛肉粉というものを食べた。牛肉はとても柔らかかったが、スープは極めて辛かった。みかんのような色をしたトウガラシだった。

四川北部に、食べずに辛みを出すためのトウガラシがあるそうだ。かまどの上に吊るしておき、スープが煮えると中に入れて揺らす。たまらないほど辛くなるという。

 四川の人が最も辛いものを好む、とは言えない。四川料理の特色は、「辛さ」と「痺れ」だからだ。つまりサンショウを多用するのである。マーボー豆腐もバンバンジーも、サンショウを入れなければダメだ。

 周作人は、彼の故郷では一年中塩辛い野菜と塩辛い魚を食べていると言っている。台州出身のある人は、店で包子を食べる時、二つに割ったものの中に醤油を注いでいた。味の好みは地域と関係がある。北京の人は「南な甘く、北は塩辛く、東は辛く、西は酸っぱい」と言うが、だいたいその通りだ。河北の人と東北の人は濃い味を好み、福建の料理は薄味だ。が、個人の性格や習慣とも関係がある。

 中国人はかつて塩についてずいぶん研究してきたが、現在は全国で精製された塩を使っている。四川の人だけが、塩漬けを作る際に自貢で産する「井塩」を使っている。

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