多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

筍、梁実秋

 我々中国人は筍を食べるのが好きだ。詩経にも筍のことを述べた詩がある。唐朝には、専門に竹の管理をする役人までいた。宋朝の蘇東坡は初めて黄州にきた時、長江の魚の美味しさと筍の素晴らしさを詠い、のちに「竹がなければ俗になり、肉がなければ痩せる。それを防ぐには筍と肉を一緒に煮るしかない」と詩に書いた。筍が食卓に欠かせないものであることは明らかだ。人だけではなく、パンダも竹の葉と竹の枝が欠かせない。もし竹林に花が咲けば、パンダはそのままでは餓死するだろう。

 筍とは幼い竹のことだ。竹には色々な種類があり、筍ができる季節も異なる。苦い竹からは苦い筍ができる。苦みがひどいのは口に入れがたいが、わずかな苦さだったら格別の味わいだ。苦い筍は、まず少し煮ると苦みを減らせる。蘇東坡は筍の専門家だが、苦い筍も食べていた。我々が台湾で夏に食べる新鮮な筍は、サクサクして柔らかいが、苦いものを買ってしまう人もいる。筍の外観から苦いかどうかわかるようだ。

 春筍は細やかでサクサクしているだけではなく、見た目も美しい。

細くて長く、白くて潤いがあり、なんの傷もない。春の雨が降ると、筍が次々に生える。水分が十分なので、繊維が細かい。古人は、女性の指の美しさを春の筍に喩えていた。これは決して誇張ではない。春の筍のような指を見たことがないとすれば、見識が狭いのだ。春筍はどう調理しても、美味しい。

油燜筍は、春筍でないとダメだ。春筍の季節は長くないので、缶詰の油燜筍が売れているが、粗製濫造の嫌いがある。

 冬筍は最も美しい。杜甫は「密竹また筍あり」と詩に書いた。道中冬筍を掘って食べていたようだ。

冬筍は地面に生育せず、冬は土の中に隠れているので、掘り出さなければならない。深く隠れているので。質が細やかだ。北方は竹が少なく、冬筍は他の土地から持ってくるので、貴重品だ。北平のレストランに「炒二冬(冬筍と冬シイタケ)があるが、なかなか美味しい。

東興楼の「エビの冬筍焼」

春華楼の「火腿と冬筍の煮込み」

は、共に有名料理だ。新年の祝いに冬筍とキュウリを蒲に包んで持ってくる人がいれば、とても貴重な礼品で、美食家にも好まれる。私は、子供の頃からキクラゲ入りの冬筍と肉の千切り炒め

が一番好きで、鍋に紹興酒をひとさじ注ぐと絶品となる。

 筍の先端も素晴らしく、杭州のものが一番だ。北平の路地裏で杭州から来た人が籠を背負って売りに来ていた。かなり新鮮なものだったので、柔らかかった。筍の先端の千切り肉炒め

は味わいがあり、麺類に入れてもいい。筍の先端の豆腐焼き

にも格別の味がある。

 結局、筍は新鮮であれば新鮮であるほどいい。ある年、私は知り合いと西湖に遊び、霊隠寺の前の精進料理の店で冬シイタケと冬筍な焼き物

を食べたが、まさに絶品だった。筍が新鮮だったからだ。

 冬筍については、台南の陸国基さんが書簡をくださり、ご指摘をいただいた。「『冬筍は地面に生育せず、冬は土の中に隠れている』という部分は、『冬筍は土の中で成長する』とされた方が、はっきりするのではないでしょうか。冬筍の成長過程について述べます。我々がよく食べる冬筍は孟宗竹のもので、美味しい筍です。隔年の秋の初め、地下茎から発芽し、ゆっくりと成長し、冬になったら掘って食べられるようになります。竹の地下茎は、比較的浅いところにあるものは、芽の部分が土から出ます。深いところのものは、地面に芽を出さず、土の盛り上がりや亀裂を見て判断し、掘り出します、さらに深いところのものは、地面に何の痕跡も残しませんので、探すのがとても難しい。ベテランは竹の枝振りを見て地下茎の方向を知り、掘るそうです。春が来て暖かくなり、雨水が足りてくると、筍はぐんぐん成長して地面に出てきますが、これが春筍です。実際は冬筍と春筍は同じもので、土から出る時間と季節が異なるだけです。どんな筍も地面に出る前が美味しいのです。孟宗竹に限りません」ご指摘に感謝したい。

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