多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

焦げ飯、梁実秋

 抗日戦争の時、後方のレストランで「東京爆撃」という名の料理があったが、実はムキエビと焦げ飯のスープだった。給仕が小さな碗に入れたムキエビを煮込んだスープを片手に持ち、もう一方の手に大きな碗に入れた油で揚げた焦げ飯

を持ってくる。焦げ飯をテーブルに置いた直後にムキエビのスープをかけると、ズーという音がして客は大いに喜ぶ。東京爆撃の音がしている、というわけだ。楽しい気持ちになり、食も進む。

つまらない名前でいっとき楽しいだけ、子供の遊びのようだという人もいた。抗日戦争の時はすべてを戦いと関連づけるべきで、無関係のものにもそれ風の名前をつけるべきだという人もいた。このムキエビと焦げ飯のスープを東京爆撃と名付ければ、士気も向上する。悪いことはない。まさか東京を爆撃したくないとでもいうのか?我々が「徳をもって怨に報いる」の精神で抗日戦争を終わらせたあと、この料理をモスクワ爆撃と呼び替えた人がいるそうだが、ここでは触れない。焦げ飯は必ず熱く揚げ、ムキエビを煮込んだスープも熱いうちにテーブルに持ってこなければならない。厨房とテーブルの距離が離れていてはダメで、時間を争う。そうしないとムキエビを煮込んだスープを焦げ飯にかけても何の音もせず、がっかりしてしまう。そういう場面はよくあった。

 焦げ飯とは、鍋の底にこびりついたコメだ。北の人はコメが半煮えになると取り出して蒸籠に入れ、蒸して食べる。南の人は鍋でとことんコメを煮るので、鍋の底に焦げ飯がこびりつく。宋の時代、ある役人の母親が焦げ飯が好きだったので、その役人はいつも食べさせたところ、親孝行と讃えられた。焦げ飯そのものに格別の味があるので、油で揚げなくてもいい。現在店で売っている焦げ飯は大量生産したもので、雪のように白く、さくさくと揚げている。菓子のような包装で、昔の鍋底の焦げ飯とはだいぶ違う。

 焦げ飯スープはムキエビを煮たものだけではない。私の知るところでは、モウコシメジのスープの方が美味しい。

モウコシメジは張家口一帯で産出するキノコで、シイタケとは味も形も異なる。

モウコシメジは小さければ小さいほど味が濃く、一番小さいものを丁モウコシメジという。ボタンくらいの大きさで、細くて小さく、整った形、霜が降りたような美しい外観だ。抗日戦争前夜、大同に行った帰りに張家口に寄り、三十数元で土地の上等のモウコシメジを買ったことがある。三十数元は当時の小学校教師の月給と同じくらいだ。それでモウコシメジと焦げ飯のスープやタンメンを作ったが、とても美味しかった。

 現在よく食べるムキエビと焦げ飯のスープは、焦げ飯のサクサク感が足りず、ムキエビに大量のトマトケチャップを加えているので、スープ本来の味がせず見た目も悪い。今いるところにはモウコシメジがないので、外国からの友人がたまに持ってきてくれるが、丁モウコシメジではないし、細かな砂が付着していて何度洗っても取れず、歯に挟まる。味の濃厚さも不十分だ。

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