多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

魚肉団子、梁実秋

 初めて台湾に来た時、手押し車で魚肉団子を売っているのを見た。その場で煮たものを売っており、湯気が立ち昇っていた。ひと碗に大きめのものが二つ入っていた。かなり噛み応えがあった。団子もスープも濁って灰色がかっていたが、味は良かった。
 私の母は杭州人なので南方風の味付けの料理が得意なのだが、厨房に行こうとはしなかった。たまに料理を作る時も、横庭に小さなかまどをしつらえて煮炊きをしていた。興が乗った父が市場からぴちぴち活きている魚を買ってくるたびに、母に直接「すまん、調理してくれ」と頼んでいた。地方の名士が有名な役者に「頼むから芝居をしてくれ」と頼むのに似ていた。母は三十センチくらいの活きている魚を見ると眉間にしわを寄せたが、引き受けざるを得なかった。魚を殺すのは決して楽しいことではない。母は「この魚は活きているから魚肉団子にするのがいい」とは言ったが、殺すに忍びなかったようだ。そこで姉が「私が殺すわ」と言って、屋内からかんぬきを持ってきた。石の台に横たわっている魚をそれでたたいたのだが急所に当たらず、魚は滑った。もう一度力を入れてたたくと、魚は三メートルほど跳ね上がって、軒に載ってしまった。みんな笑い、はしごを持ってきて登り、軒の魚をつかんで放り投げた。魚は半死にの状態になり、やっと身を開いて洗うことができるようになった。幼かったころのこの騒ぎの印象はとても深く、魚肉団子と聞くと思い出す。
 魚肉団子を作るには活きた魚でなくてはいけない。肉厚で小骨の少ない魚だ。魚をまず二つに切り分ける。頭部を釘で木の台に打ち付け、包丁でゆっくり斜めに肉をそぎ落としていく。肉はペースト状になり、包丁の刃の上から下に置いた碗の中に落ちていく。切り分けた二つの肉をすべてそぎ落とすと、だいたいひと碗分の魚肉ペーストになる。少量の塩と水を加え、ショウガの汁をかけて、数本の竹箸で糊状になるまでたたく。たたく時間は長ければ長いほどいい。活きた魚を使っているのだったら卵白は不要だ。次に鍋で湯を沸かし、それを持ってくる。魚肉のペーストをすばやくスプーンですくい、手でこねて団子状にし、湯に入れる。数個作って入れた後、再び湯を沸かす。魚肉団子の色が変わり、八か九分目まで煮えたら、取り出して碗に入れる。すばやくきちんと団子をこね、湯の温度をしっかり加減しないと、魚肉ペーストがばらけて団子にならない。魚肉団子を煮たスープそれ自体がおいしいので、他のスープは要らない。出来上がった魚肉団子をスープに入れて加熱し、刻みネギかエンドウマメの若芽をふりかけ、大きな碗に盛ってテーブルに出す。魚肉団子を醤油で煮込んでももちろん悪くはないが、すまし汁のものには及ばない。こうして作った魚肉団子は豆腐のように柔らかい。
 湖北は魚を多く産するところで、抗日戦争中漢口にいたとき、ヨコグチという魚のフルコース料理があると聞いたが、見たことはない。が、ヨコグチで作った麺は食べたことがある。確かにいい味だった。十数年前、湖北人である友人の高鴻緒さんが家に招いてくれ、奥さんが新鮮な魚肉団子を作ってくれた。

魚肉団子とスープを一緒に鍋でぐつぐつ煮たもので、香りも素晴らしく、食べてから三日たっても、味わいが口に残った。高さんはもう鬼籍に入られたが、暇なときに往時が頭に浮かぶ。

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