多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

天台の春筍、趙珩

 

…雨のため天台峰に登れなくなったので、ひとまず茶店で休むことにした。茶を一杯飲んだ。茶葉はあまり良くなかったが、湯は良かった。近くの山泉の水を使ったそうだ。

 茶店では六十歳くらいの老婆が番をしていた。降り続く雨を憂い、早朝掘って持ってきた筍を軒下に置いたまま出ていった夫を悪く言った。

 正午を過ぎても雨は止まず、私は腹が減ってきた。老婆は店にご飯はあるが大したものはないと言う。軒下の筍を見て、炒めてくれと頼むと、老婆は承諾した。どうやって炒めるのか尋ねると、油はあるが肉がないのでそのまま炒める、とのことだった。筍の先端を切り取り、あとの部分はセリホンと一緒にスープにするという。

 炒めた筍は象牙のような色で、新鮮で柔らかい。

都会、ことに北方の都会では味わえないものだ。「筍は夜間に成長するので、次の朝にとったものが一番新鮮です。雨後ならなおのことそうです」と老婆が言った。

 そしてセリホンと筍のスープを持ってきたが、実に素晴らしかった。

碗に油は全くなく、細かく刻んだセリホンと油で炒めていない白い筍を切ったものが浮かんでいる。濃い緑と白が調和し、清らかで美しい。味わうと実に美味しかった。「セリホンはいつも食べている漬物を使いました。切った後湯がいて塩味をとりました」とのことだった。湯がいたセリホンに筍だけを使い、塩は加えていないという。漬物の塩味で十分だ。

 このスープは心にしみた。鮮美この上ないものだった。多くの美食にも勝る。

 私は天台寺には行かなかったが、春を味わい、緑を聞いた。

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