多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

仏跳墙、林文月

昔の言い伝えだが、ある乞食が金持ちの家からもらってきた肉などの料理の残り物をある寺の塀のそばで火を焚いて煮込み、飢えをいやそうとした。いい香りが漂い、寺で修行している坊さんたちがよだれをたらし、塀をとびこえて出てきて乞食にその料理を分けてほしいと頼んだ。それが「仏跳墙」という料理の始まりだという。(「墙」は中国語で塀の意味)

 これは明らかなこじつけと思われ、本当かどうか確かめようもない。が、多くの山海の珍味や肉を使ったこの料理のため「仏」が塀を跳び越えた。美味しさのほどがわかるだろう。
 この珍奇な料理のことを初めて聞いたのは子供のときだ。母が祖父の思い出を話しているときに、「仏跳墙」という言葉が出てきた。祖父は中年のときに「台湾通史」の原稿を書き終えた後、一定期間台北の大稲埕(現在の延平北路一帯)に居住していた。著名な「江山楼」というレストランの近くだったので、そこに文士たちを集めてよく宴を開いていた。「江山楼」の主も風雅を好み、祖父をあがめていたので、祝日のたびに祖父に様々な料理を持ってきた。その中で祖父が一番好んだのが「仏跳墙」だったという。

が、私が本当に「仏跳墙」を食べたのは、それよりだいぶ後だ。私たちの家庭は上海から見知らぬ故郷台湾に戻った。私が子供から少女に成長しようというときだった。当時、父は華南銀行の戦後最初の頭取の職にあった。当時華南銀行の招待所にベテランのコックがいて、「吉さん」と私たちは呼んでいた。その「吉さん」の得意料理が、福建南部の特色を豊かに持つ仏跳墙だった。

 父は平日は仕事が忙しかったので、子供たちと共に過ごすのは日曜日に限られていた。私たちは時々一家で華南銀行の招待所に行き、硫黄のにおいの強い温泉に入り、台湾料理をたっぷりと味わった。冬になると、吉さんは父と私たちのために濃厚な味の仏跳墙をちょくちょく作ってくれた。それ以降も、別の場所で同様の料理を食べたが、少女時代に家族とともに食べた吉さんの料理に及ぶものはなかったと思う。

その後、往時の記憶をたどり、この福建南部の素晴らしい仏跳墙を作ろうと試み、ポイントもわかってきた。それぞれ別々に調理した山海の珍味を集めて一緒に蒸したり煮たりするのであって、それらの食材を同じ鍋で一緒に煮込むのではないということだ。

仏跳墙の素材はかなり多く、一定の決まりはない。大まかに言えば、欠かせないものとして:ふかひれ、ナマコ、スルメイカ、豚足、豚の胃、シイタケ、サトイモ、ナツメがある。そのほかに状況に応じてスペアリブやウズラの卵なども入れる。そしてこれらの食材は事前にそれぞれ調理しておく必要がある。ふかひれとナマコは水に入れてもどすだけではなく、煮込んでおかなくてはならない。仏跳墙は多くの食材で構成する料理なので、個々の食材はそんなに多くを必要としない。豚足と豚の胃も煮込んでおかなくてはならないが、他の多くの食材と一緒に蒸すので、あまり柔らかくする必要はない。スペアリブを加えるのなら、小さな塊に切り分けて表面が黄色くなる程度に油で揚げておく。きちんと口に入るサイズにしておくのである。

 スルメイカは乾燥物を水でもどす。そして三センチくらいに切り、表面に包丁で縦横に刻みを入れる。そうすると調理後きれいに丸くなる。もどすときに使った水も残しておいて、使用する。シイタケとナツメはともに事前に水に浸しておく。サトイモは皮をむいた後、三センチくらいの塊に切り分け、油で揚げておく。そうすれば蒸しても形が壊れない。

 それぞれの素材を調理してから、蓋つきの大きな磁器の壺に入れる。一番下に油で揚げたサトイモをおき、豚足、豚の胃、スペアリブ、スルメイカ、シイタケ、ナツメというふうに積み重ね、最後にふかひれとナマコを置く。あとでスープを入れるので、壷の六分目くらいまで入れる。

 仏跳墙のスープは、それぞれの材料の調理の過程で出たスープや汁を基本とする。ふかひれやナマコを煮たスープ、とんそくや豚の胃を調理した時の汁、スルメイカやシイタケをもどした時の水などを少しずつ混ぜ合わせ、チキンスープを少し入れて味を整え、コショウの粉を振りかけ、茶さじ二杯の紹興酒を入れる。スープは壺の九分目まで入れる。加熱した時の吹きこぼれを防ぐためだ。

 その壺を蒸し鍋に入れる。

壺の高さの半分くらいまで蒸し鍋に水を入れ、最初は強火で沸騰させ、沸騰したら弱火にする。加熱時間が長すぎると、壺の中の素材が煮崩れ、味がごちゃごちゃに入り混ってしまうので、注意が必要だ。

 乞食が金持ちの家の料理の残り物を一緒に煮込んだのが最初だという言い伝えが、本当かどうかはわからない。が、仏跳墙の特色はあらかじめ調理した素材を一緒に蒸すことにあり、最初から同じ鍋で煮込むのとは全く異なる。それゆえ、そういう言い伝えがあるのも無理はない。


この手間のかかる料理では、壺の一番下のサトイモが最も愛される。サトイモ自身には味がないので、それぞれの素材やスープの美味を吸い込むからだ。それにかたまりに切り分け油で揚げているので、形が崩れておらず、柔らかいがかみごたえもある。他の料理にはない味わいだ。

 仏跳墙を食べるたびに、少女だった頃一家で楽しく食べた吉さんの料理を思い出す、父母はもう亡くなり、きょうだいは各地に散らばってしまったが、甘美な記憶は色褪せない。美味はいろいろな往事を引き出すものだ。

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