多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

思いに残るギンナンスープ、唐魯孫

 台湾に来て三十年以上たつが、イチョウの木を見たことがない。嘉義農業試験所の徐技師に聞いたのだが、かつて内地からイチョウを数株持ってきて一メートルくらいにまで育てたが、すべてオスで実がならず、育てるのをやめたそうだ。毎年旧正月になると迪化街の永楽市場に行き、ときおりギンナンを買っていた。今は亡き母がギンナンの五目煮込み

を好んでいたので、ギンナンを買って作っていた。

 子供の頃、花嫁さんがギンナンを食べて婚礼の儀式の間トイレに行くのを我慢するという話を大人に聞いた。それでギンナンが怖くなり、あまり食べなかった。
 1929年に上海で全国塩業大会が開催され、私も参加した。そのとき鎮江商会会長の潘颂平さんが焦山定慧寺

で精進料理をごちそうしてくれた。定慧寺は漢代の創建だが、歴代の住職は境内のイチョウの木になるギンナンを食べ、九十以上まで生きていたという。そのイチョウの木は樹齢千年を超え、ギンナンは皮をむいたり芯をとったりしなくても苦くも渋くもない。しょっちゅう食べていると、長寿になる。

 定慧寺の精進料理は有名だったが、それまで食べたことはなかった。実際味わってみると、種類は多くないがそれぞれの品が秀逸で、北平三聖庵や常州天童寺のものとは異なる趣だった。最後に、ギンナンのモクセイ蜜漬けが出てきた。

ギンナンは苦くも渋くもなく、清らかで豊かな香りだった。すべて芯のあるものだった。いつもは夜中に目が覚めてしまうという同行者が、その晩はぐっすり眠れ、翌朝爽やかに起きられたという。気持ちよく、しっかり眠れるのは、その通りだと私も思う。
 その後、定慧寺のイチョウの木は流言飛語のため切られてしまった。現在定慧寺で客に出しているギンナンのモクセイ蜜漬けは、苦くも渋くもない、当時のあの料理ではない。

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