多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

忘れ難き朝食、唐魯孫


 以前北平では大金持ちを除いて、一般の人が家で朝食をとるのは稀だった。当時はジョギングやフォークダンス、太極拳のような身体を鍛える活動はなかったが、早朝はよく散歩をしていた。お腹がすくと、街角の屋台で朝食をとる。様々な味のものがあったが、私が一番好きだったのは八面槽一帯で売っていた豆腐脳(豆乳を煮立てて石膏を入れてゆるく固めたもの)だ。

 最近台北のあるレストランが饒陽豆腐脳を売り始めた。饒陽とは河北省深県のことで、以前は深州と呼んでいた。深州は水蜜桃で全国に名を馳せている。実が大きくてみずみずしく、奉化の玉露水蜜桃と並び称されている。が、深州の豆腐脳を知る人は少ない。

 八面槽で豆腐脳を売っていたのは周という姓の背の低い人だった。馴染みやすくて話好き、みんな「恨天高」というあだ名で呼んでいた。彼は深州の人で、もとは深州で豆腐脳を売っていたが、軍閥間の戦争を逃れて、北平に来て豆腐脳を売り始めた。毎日六時に天秤棒を担いで八面槽の路地の入り口に立った。ホンカンゾウとキクラゲ、肉片でつけ汁を作っていた。材料の質は良く、肉片も赤身と脂身を薄切りにしていた。

 二時間で百五十碗売っても味はまずくならず、人々は称賛した。彼は言っていた。「私の故郷で作ったものの方がはるかに美味しいです。北平の井戸水は私の故郷のものより質が落ちるので、豆腐脳も劣ります。ご縁があったら、深州でお会いしましょう。故郷の井戸水で作った豆腐脳をお出しします」

 彼は馬蹄焼餅

も売っていた。宝幸斎で仕入れた清醤肉

をそれに挟んで食べるのである。豆腐脳と合わせるとお腹いっぱいになる。食べたことのある人は、その話になるとみな涎を流す。

 将来内地に帰っても、そういう朝食はとれないのではないか。

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