多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

乳腐を語る、周作人


 かつて私は「華僑と紹興人」という文で、紹興人はどこにでもいると書いた。「越諺」の「スズメと豆腐と紹興人はどこにでもいる」と「長江に六月はない」がその証左だ。旧暦六月という一番暑いときでも家で涼まず、遠くに行くということだ。紹興人は酒を造って天下に売り歩く、というのがその第一の理由だろう。酒の他に、紹興人は醤を使った食品も作る。北方にあるそういう食品の店は紹興に本店がある。他に醤豆腐や糟豆腐、臭黴豆腐なども起源は紹興で、最初は紹興人がもっぱら売っていた。
 醤豆腐は、紹興では赤黴豆腐、

臭黴豆腐

に分けられ、小さなものを棋子黴豆腐と呼ぶ。臭黴豆腐は青い色だ。「国語辞典」を調べると、醤豆腐のことを「乳腐」あるいは「腐乳」と呼ぶと書いてある。

 乳腐は豆腐から作る。豆腐は平凡なものだが何にでも合い、貧乏な人も金持ちも食べる。が、乳腐は、金持ちは食べない。北京のレストランで「乳腐を一皿」と言えば、給仕は軽蔑のまなざしで微笑み、「ございません」と答えるだろう。
   実際、乳腐の類は本来貧乏人の食べ物だった。塩辛いものだと多くのご飯が掻き込めるからだ。わずかなおかずでご飯が多く食べられるので、田舎の人の副食は黴豆腐でも自家製の野菜の漬物でも、アマランサスの茎の漬物でも、

黴千張でも、

市場で売っている魚の干物でも、すべてが塩辛い。まさに貧乏の味だ。野菜の漬物は次の年の秋が過ぎると、酸味が臭くなってきて、尊重される。アマランサスの太い茎を短く切り、漬けて黴をはやすと、ご飯が進む。以上述べたのは銭塘江東岸の状況だ。西岸の杭州や蘇州一帯は、以前から人民の生活が豊かで、薄味で甘みのあるものを好んだ。それもゆったりとした生活からくるものだ。
    私は子供の頃からの習慣で、黴の生えたものや臭い食べ物が好きだ。北京にも臭豆腐があるが、もとは紹興から来たものだ。が、夏は虫が湧くのを心配して、製造を停止している。惜しいことだ。実は、夏の一番暑いときに白米の粥を臭豆腐をおかずに食べるのは、とても効果のある暑気対策なのだ。

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