多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

ピーマンを食べる、周作人

 五味(苦い、酸っぱい、甘い、塩辛い、辛い)の中で必要ではないのは辛さだけだ。が、私はまさに辛いものが好きだ。生物の体内には本来塩辛さ、酸っぱさ、苦さ、甘さが備わっており、原料を吸収すれば自前で作れる。人類は文化的な習慣により、最も簡単な生活をしていても塩辛さが必要となるが、その他は省略できる。五味の学習の順番は、甘さが最初で、次に塩辛さと酸っぱさ、苦さがそれに続く。が、苦さは使い所があまりない。ニガウリはそんなに普及していないし、ニガウリの一種の錦ライチも、

名前は立派だが、子供が中の赤いワタを食べるくらいだ。

 火のように辛い、とよく言うが、うまく性質を表現している。火が焼き尽くすような辛さで、慣れていない人は痛みさえ感じるのではないか。その上辛さには色々種類があって、単純ではない。ショウガは穏やかな辛さ、ピーマンは猛々しい辛さ、コショウとカラシ粉は鼻まで通る辛さで、ピーマンは喉に突撃して、頑固に辛い。辛さがそこに残り続けるのである。火のように辛い、というのは本来ピーマンのことだろう。私の辛さ好きの度合いは普通だが、ピーマンが好きで、辛さの代表だと思っている。コショウとカラシ粉、カレー粉の類は調味料であり、それだけでは食べられない。ショウガは砂糖漬にしたり、

醤油につけたりすれば丸ごと食べられるが、単調だ。

が、ピーマンは色々な料理を作れる。鶏肉料理や肉の千切り炒め

はもとより素晴らしいが、ピーマンに肉片と豆腐干を混ぜて炒めた料理

が、私は好きだ。

また、南京学堂にいたときよく食べていたのだが、ピーマンと赤トウガラシを漬けたものにごま油を加え、長方形の侉餅と一緒に口に入れると、まさに珍味だった。

今でも忘れられない。が、北京にはそういうしっかりしたピーマンがないようで、実に残念だ。

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