多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

マントウ、周作人

 南方の人が北京に来て、誰かに肉マントウを買いに行くように頼むと、ややこしい問題になる。北方では餡の入っているものは包子と呼び、

マントウは餡の入っていないものを指すからだ。

餡の入ったマントウを買いに行ってくれと頼むことは、日本にいる留学生が寮の管理人に「熱い水をください」と頼むのと同じで、どうにもならない。

 が、細かく考えてみると、肉マントウという言葉が間違っているわけではない。古代のマントウには餡が入っていたからだ。宋時代の記録によると、宋の皇帝仁宗が自らの誕生日に家臣に包子を賜ったそうだが、マントウという名前はそれより早くからあった。諸葛孔明が始めたという説は信用性が乏しいが、唐時代の詩に「城外の土マントウ、餡草は城の中にあり。一人で一個食べる、美味しくないと嫌わないように」というのがあるので、唐時代のマントウには餡が入っていたことがわかる。

 私たちの田舎のマントウは、皆餡が入っている。豚肉か甘いアズキ餡だ。南京の茶館の野菜包子

は確かに美味しいが、惜しいことに茶館では作れない。不思議なことだが、かつて新式の茶館がなかった頃は、田舎でマントウが必要になると望江楼に行って、元宵節の団子と同じくらいの大きさの「候口マントウ」

を買っていた。菓子としては実によくできていたが、ご飯として食べるものではなかった。それゆえ餡のないマントウは役に立たなかった。北方では小麦粉で作った食品をご飯として食べ、包子は贅沢品。ましてや美味しい餡の入ったものは、なおさらだ。餡の入っていないマントウこそ正統だが、大きなものをきちんと蒸せばとても美味しい。南方ではお目にかからないが。

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