多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

トマト、老舎

 いわゆる「むきエビのトマト炒め」

の「ト

マト」は、もともと北平では「西紅柿」と呼ばれ、山東では「洋柿子」もしくは「紅柿子」と呼ばれていた。私がまだ辮髪を結っていた子供の頃は今ほどの威厳はなかった。あの文明的でなかった時代、その値打ちは「カラスウリ」と同じようなもので、ただの子供のおもちゃに過ぎなかった。「お嫁さんごっこ」をしていたとき、小さな木の腰掛に真っ赤で丸々とした「西紅柿」をいくつか置き、「披露宴の料理」にしたのだが、とてもきれいだった。しかし、その程度の値打ちで、大きな食堂でも小さな食堂でも、まったくお呼びがかからなかった。
 トマト、特に葉のついたトマトは、北平の言葉で言えば「青臭い」においがして、あまり人に好かれない。いわゆる「青臭い」とは、草木の発するあの気持ちのよくないにおいのことで、カジノキの葉といくらかの草と同じだ。気の毒なことに、トマトは果実は鮮やかできれいなのに、あのにおいに足を引っ張られている。わきがの美人と同じだ。食べ物としてではなく、「花」として見ても、「ナス」や「トウガラシ」のようにカンナやチドリソウと一緒に街で売れるほどのものではない。子供がトマトで遊ぶのも他に何もなかったときだ。。遊びはできるがおいしくないので、ピーナッツやナツメのように「両方」に使えるものに劣る。実際は、トマトの味はそのにおいほどひどくはないし、発酵豆腐ほど強烈でもない。が、青臭さが命取りだ。においのほかに、どっちつかずなところが欠点だ。果物ほど甘くないし、瓜ほどさっくりしていない。煮込むと味がなくなり、柔らかくなりすぎて他の野菜のような「噛み応え」もなくなる。生で食べるのが一番いいのだが、においが問題だ。果物にも瓜にも野菜にも及ばないのである。
 トマトに運が向いてきたのはここ数年だ。「トマト」がメニューに載っているのは最初はイギリス料理やフランス料理のレストランだけだったが、だんだん中国料理の店にも浸透してきた。山東料理の店でさえ「むきエビのトマト炒め」を今では出している。文化の侵略は止められないのだろう!しかし細かく見ると、レストランの様々なトマト料理やトマトジュースは驚くほど赤いが、まずくはない。新鮮なトマトを生で丸ごとがぶりと食べる人はまだ多くない。西洋に留学経験のある人とその子女だけだろう。本場の西洋の味を知っているのだ。最近西洋医学の医者がトマトにはビタミンAが含まれているので生で食べたほうがいいと宣伝しているが、どうもすっきりしない。が、中国人は寿命を延ばし元気をつけるものを好むので、トマトの青臭さに慣れるのも難しくないかもしれない。もし漢方医学の医者がトマトと鹿茸(雄鹿の生えたばかりの角。漢方薬の一種)

を一緒に摂取すれば精力を盛んにすることを証明すれば、トマトの前途は無限に広がるだろう。

  (1935年7月14日 青島「民報」)

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