多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

家計の節約、老舎

かつての北京では、人々は朝出会うと、「おはよう」とは言わず、「お茶を飲みましたか?」と言った。これにはわけがある。当時、大部分の家は食事は一日二回で、朝は茶を飲むだけだった。午前九時か十時に朝食をとり、午後四時か五時に夕食をとっていた。みんな早寝早起きだったのである。

 オールド北京にも酒池肉林やぜいたくな暮らしがなかったわけではない。が、それは身分の高い金持ちだけで、一般市民は家計を節約するというよき伝統を維持していた。嫁をほめるときにはいつも「やりくりが上手」と言ったが、それは家計の節約ができることだった。
 私が子供だった頃、同じ路地に貧乏な家と真ん中くらいの家があった。真ん中くらいの家でも、レストランで食事をするのは珍しかった。路地の世論に照らせば、派手な飲み食いは家を滅ぼすもとだった。
 そう、毎日食事は二回で、毎食同じものを食べた。冬は主にハクサイとダイコン、夏はナスとインゲン豆だ。ギョーザとあんかけ麺

は祭日に食べるものだった。古い京劇で、道化役があんかけ麺を食べて人を笑わせることがよくあるのが、その証明だ。

 私の家のように貧乏な家では、夏の「おかず」はネギの塩あえ、冬はハクサイの漬物に

ラー油をかけたものだった。私の家より苦しい家では、すっぱい豆汁

でしのいでいた。それは最も安いもので、銅のコイン一枚か二枚でたっぷり買えた。何とかかき集めた穀物と野菜の葉っぱを中に混ぜて、粥を作り、

一家で分けて食べたのである。私の言っていることが嘘ではないことは、旧社会で肉体労働をしてきた人たちなら証明してくれる。

 家計やすべてのことを節約するよう、党と毛主席は不断に指導されている。が、私たちの生活はある程度改善し、労働に参加する家族も増え、給料も多くなった。ポケットマネーも増えて、節約を、甚だしくはすっぱい豆汁を飲んでしのいだかつての苦しみさえも容易に忘れるようになった!家計を節約するというよき伝統を決して忘れてはならない!
 みなさんが豆汁を味わったことがあるかどうか知りたい。私は北京で勉強しているので、北京の特色ある軽食類を味わいたいと思っている。それゆえ先月、南鑼鼓巷付近の「姚記炒肝店」

で豆汁を飲んでみた。うーん、私は豆汁と合わないようだ。

しかし新しいものを多く試してこそ、生活の楽しみも発見できるのである。

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