多田敏宏:中国の食と病と文学のブログ

中国の食と病について文学の点から見てみたいです。

瓜子(瓜類の種に塩などを加えて煎った食品)、周作人

 故郷の田舎では、新年の客が来たとき、煙草がなければ、緑茶やジュースの後に軽食類を出していた。瓜子とピーナッツ、年餻(中華もち)

とちまきは必需品で、その他に揚げた元宵だんご、

小さな包子

花餃子

、シュウマイの類を出しておけば、客を十分に尊重したことになり、盛大な宴とされた。
 ピーナッツは明の時代に南洋から中国に入ったものだが、瓜子を食べる風習はいつ頃始まったのだろう?かなり早い時期だろう。小説の中ではわずかしか取り上げられていないようで、文昭の「紫幢軒詩集」の中の夜を詠んだ詩に「深夜車馬が家に帰っていく、街路では夜通し瓜子を売っている」という言葉がある。文昭は王漁洋の弟子で、清の康熙帝時代の人だ。
 かつてスペイン人の小説の中で、女性がヒマワリの種をかじる

場面があったが、アラブ人と関係があるのかどうかは知らないし、他国にそういう風習があるのかどうかも知らない。

 ふだん客をもてなすときに使っていたのは市場で売っているスイカの黒っぽい種

だったが、私個人の経験ではスイカを食べた後に残った種は、黄色で粒が小さく、煎ると黒っぽい種よりおいしかった。他にカボチャの種

とヒマワリの種も食べられ、かじりやすくて果肉の部分も多かったが、なぜか正統のものと扱われず、客に出すこともなかった。

 子供たちのなぞなぞに「百食べれば二百余る。これは何?」というのがあるが、明らかにスイカの種のことで、カボチャの種でもヒマワリの種でもない。この二つは歯でかじって殻を割ると、きれいに二つに割れないからだ。したがって、子供たちの心の中にある瓜子もやはりスイカの種だろう。
(1950.11)

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